レッドクレーを意識しだしたのはいつ頃だっただろう?

確かレッドクレーでの初めての遠征はバルセロナ14歳以下の世界大会でした。思い返せばメドベデブやカフェルニコフ、コレッチャなどがすでに世界の舞台で戦っていました。

塚田コーチが14歳以下のジュニアを連れてヨーロッパに。

14歳ながらすでに凄さも感じてたのですが、何よりもとても楽しそうに戦っていたのが印象的でした。色々なアイディアを試している、表現しているような。レッドクレーって楽しそう!そして実際にプレーして自分のプレーに開催クラブのメンバーの人は喜んでくれて「なんて楽しいんだろう」って思ったのを強く覚えています。
もう一つレッドクレーで印象に残っているのは、僕が17歳の頃、バルセロナオリンピックの日本予選がSSCで開催されました。上位2人が大阪の靱公園で行われるアジア予選に参加できます。

 

 

酒井コーチ、2011年オレンジボール。アメリカはグリーンサンドが多いですね。

レッドクレーよりも少し球足が速いクレーコートで日本のトップ8人が戦うのですが、勿論僕は日本のトップ8人ではなかったので、協会推薦を受けて戦いました。ハードコートならチャンスは低いけど、他のトッププロもあまり慣れないクレーならチャンスあるかも!?などと根拠のない自信を持ちながらチャレンジしました。
最終的に上位2人に入ることができ、アジア予選ではあと一つ勝てばバルセロナというところで負けてしまいましたが、この時に「僕の戦う舞台はこのサーフェスなのかもしれない」と意識をし始めまた。「プロになったらレッドクレー中心のツアーをまわりたい」その為には「南米、ヨーロッパを中心にツアーをまわりたい」と思うようになったのがこの頃からでした。

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