最後の砦

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一進一退の切羽詰まった状況や、追いつめられたとき、自分以外の何かに頼った経験を誰もが経験していると思います。

小市民である小生にとっても、幾度となく経験しています。

以前も記事に載せたと思いますが、試合を観戦する意義の一つに、「基本的にはどのようにプレイしているのか?」を観て、将来に向け子供達の引き出しの数を増やすための分析しているつもりなのですが、ジュニアの試合(特に低年齢)は、プロの試合に比べてどちらに転ぶか分からない状況が続くため、どこかで応援に気合いが入ってしまっています。

今年の夏も、選手の試合を観戦している際に、ゲームを取り続けている間は、自身がナダルの如く、ペットボトルを同じ位置、同じ向きにしていたり、ゲームが取られ始めると、違う場所においてみたり・・・と結構忙しなかった自分に気づき、共に観戦をしていた選手の親にも、「コーチもそんなこと気にするのですか?(笑)」などと言われました。

欧米人はプレッシャーに強く、日本人は弱い・・・とか言われます。国によっては、まだ十代の選手ではあるが、家族を支える立場になっており生活がかかった選手もいれば、国を捨て、この世界で生きるべく覚悟を決める選手などが存在し、そのような意味では恵まれた環境(温室)で育っているというような状態では、当然太刀打ちできないどころか、フィールドが違いすぎて話になりません。

それだけでなく、欧米人の切り札には「イエス様」が存在します。

多くは「十字をきる」

この行為は、接戦をものにしたときや、追いつめられた時に、ほぼ、敬虔なクリスチャンであれば行う行為であり、「自己の中に神を宿す」行為を行います。

日本人の場合、「多神教」のため、神や仏は崇めますが、欧米人に比べれば、そこまで信じている状況にはないのかと思います。どちらかというと「自分を信じることにより、自己意識を開花」させる行為を行います。

この違いも、大きな問題としてあるのではないかと感じます。

宗教問題に発展すると多くの思想がそこに存在するため、浅い知識では語ることのできない問題がでてきてしまいますので、この辺にしておきます。

いずれにしても「矜持を保つ」ことが、どの世界で生きていくためにも大切だと思います。しかし、その裏付けとなる行為は大変なことであり、更に大切となることだと思います。

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