別れと区切りのつけ方

年度末になって、様々なところで別れ、終わり、区切りがある。
学校生活での区切り、会社での区切り、勤務先での区切り、、色々ありますよね。
新たなステージに挑戦する人や、役割が変わる人、実質あまり変化のない人もいるかと思いますが、自分の周りにいる人間関係は変わったりしますよね。

私は、この別れとか区切りのつけ方って今までを振り返ってもすごく苦手な気がします。
苦手と言っても、それぞれのステージの別れをとてもとても悲しんで引きずるっていうほうではなく、その時点で実感がないのか、うまく今までの感謝や想いを伝えて次に進むことがうまくできないのです。
だからなのか、良いポジティブか悪いポジティブか、「またきっと会えるしね」、とどこか水臭くなりたくなく、その区切りをつけることから目を背けてしまうところがある気がします。

思い出深い小中学校や高校の卒業式だって、大学の王座引退でさえ。
「まだ続くしね」と、感傷的に入り込むことはあまりなかったように思います。
自分が熱中したバドミントンの世界から転向する時もその区切りははっきりとはしていなかったし、テニス選手としての引退も振り返ればあの大会だったな、という具合です。
今は、子どもの保育園や習い事先などで先生との別れがあったり、テニス部として関わった子達との別れ。

様々な区切りがあるはずなんですが、どうもうまくできずにずっときた気がします。
自分の中に感謝や思い出がある人はいるのに。

今日こんな文章を書こうと思ったのは、どうにかパソコンに向き合う時間を取れたからでもありますが、何か自分の中に溢れるものがあったから。
実はこの別れの時期の区切りのつけ方、結構ジュニア時代からずっと頭の中にモヤモヤしていました。
ただ、今日たまたまやりとりしていた会話の中で改めて感じたことがあったんです。
「自分が歩んできた人生や経験を無駄にしてはいけないし、得た教訓や知識、想いを次世代の子ども達に伝えていかねば」
今現在私は、人生の夢でもあった家族を持ち、てんやわんやの子育てに奔走しながらも日々幸せに暮らしています。
ただ、どこかでテニス選手としての成功と考えていたステージに届かなかった空虚感や自分自身の今ある価値を認めてあげるられるほどの自信がなく、遠慮という言葉で向き合えてなかったところもあったかな、と。
ただ、先ほど言った通り自分の反省や経験したことが誰かの役に立つならそれはちゃんと伝えていかないともったいないなと思ったのです。
それは自分自身が頑張った証でもあるのかもしれないけど、それ以上に思うのはそう頑張ることに挑戦できた私をサポートしてくれた周りの想いを無駄にしてはいけないから。
そんなの綺麗事だと思われてもいいですが、やはり自分が夢を追いかけることを応援してくれた両親やスポンサー、ファンに対するこれからの私ができる恩返しなのだと思います。

その第一歩としての久しぶりのアウトプット。
今後、どういう形でアウトプットしていくかは考えどころ(文章なのか直接の言葉なのか)ですが、やっぱり選手として、大人として、親として、誰の役に立つかわかりませんが、自分の想いは頑張って伝えていこうと思います!

久々のブログに辿り着いた方、ご精読ありがとうございました!

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