上海ATP1000特別レポート5
shanghai_masters_20101017.jpg 正式名称、上海ロレックスマスターズは今日、晴れた空の下で決勝が行なわれ、アンディ・マリーロジャー・フェデラーを、6-3 6-2のストレートで下して優勝した。現地は軽く上着を羽織るぐらいでちょうどという感じの気候で、微風。多少風が吹いたおかげか、土曜日までは気になった霞(かすみ)のような空気も、若干マシになっていた。


 このページに辿り着く方々の中には、ガオラその他で試合をご覧になった方もいることだろうが、フェデラーとマリーの相性が実に良く出てしまった試合だったように思う。
 技術の巧拙(こうせつ)、パワーの有無、スピードの有る無しなど、テニス選手の強さを例えばRPGのキャラクターの能力として数値化したとしたら、今もそのトップにいるのはフェデラーだろうとは思う。攻守のバランスが良く、攻撃の命中率も高い。また、耐久力も相応にあるし、何より様々なバラエティがある。
 一方で、マリーはと言えば、攻守で言えば守にバランスが傾いたカウンタープレーヤーで、攻撃の起点はバック。フォアは基本的にバックで決めるための環境を作るために使っているような選手だ。球際には強く、面だけ作ってボールをコントロールできるのは、小さな頃にカーペットコートでテニスを覚えた彼ならではの部分だろう。また、低いボールの処理も実に巧みだ。
 フェデラーはマリーに負け越している。それも、3セットマッチだと実に分が悪い。序盤のフェデラーにはそれも頭にあったのだろう。マリーにチャンスを与えないため、やや慎重になりすぎていたようだ。「大事なポイントでたくさんミスをして、だんだん自信がなくなっていった。そうなってくるとどんどん狭いところ、狭いところを狙うようになってしまうんだ。結果として相手をまた調子づかせてしまう。バカだな、と自分でも思うよ」と試合後のフェデラーは自嘲(じちょう)したが、フェデラーがマリーのバックを警戒して得意のフォアの逆クロスをミスしたり、あるいは打てそうな場面で使わなかったりしたのは、フェデラーがマリーの土俵の上で戦ってしまっていたということに他ならない。今日のフェデラーには、そうなっていく自分を立て直すだけの時間を、相手から奪えなかったということだろう。おかしい、おかしいと思っている間に、気づけば試合が終わっていた。そういう感じだったのではなかろうか。
 
 技術的に見れば、マリーとラファエル・ナダルは、フェデラーと戦うのに最もいい特徴を持っている。フェデラーが得意とするフォアのストレートから逆サイド方向のボールは、大概の相手には有効な武器となるが、マリーのバックは打点の高低を問わず極めて安定していて、高い打点からは強烈に、低い打点からはきちんと深くつなげられる上に、スライスもいい。そして、ナダルは左利き。ナダル最大の武器であるフォアが、そこには待ち構えている。
 また、両者ともに攻守のメリハリが良く、ポジショニングが巧み。マリーはそのライジング力を生かして、前のポジションから打ち粘れるし、ナダルは下がっても広くカバーできる脚力を持っている。
 
 つまり、フェデラーから見たときに、この二人は自分が一番使いたいショットのところに、相手の一番の武器があるという相性になる。フェデラーの言葉にあった通り、フェデラーは彼らと戦う時には、「狭いところ」を狙って行かないと、ポイントができないという感覚にあるのだと思う。それが結果としてミスを増やしているのではなかろうか。もし、それが効率よく決められれば、試合の流れも掴めるのだろうが、彼の能力をしても、それが毎回できるわけではない、ということなのだろうと思う。
 純粋に技術的な側面から、彼らの相性を見れば、数ある中の一つは、恐らくそういう解答になるはずだ。
 さて、今回、上海ロレックスマスターズを取材していて感じたのは、今の中国のテニスファンは、実に幸せだということだ。上海の前週には北京で男女共催の大型の大会が催(もよお)され、翌週には上海で男子のツアー最高レベルの大会が見られる。特に、上海の大会は、男子の4強が全員揃い、その他のトップ選手たちも集結。ドローサイズが小さい分、外れのカードも少なく、どのカードを見てもグランドスラムの3回戦以上並。3セットマッチということを除けば、最高のテニスを目の前で見られる環境なのだ。しかも、どのコートでも真剣勝負が行なわれていた。グランドスラム並と言っていい、気迫に満ちたプレーぶりを選手たちはしていた。これは有明の楽天ジャパンオープンでも同じことを感じたが、今の男子ツアーは、トップである4強たちが常に真剣に戦っているため、以前のような「シーズンオフの観光気分」で戦っているような選手がいなくなったのだろうと思う。これもまた、テニスファンにとっては幸せな現象だろうと思う。
 また、中国はテニスの世界では後進だった分だけ、各施設もまだ新しく、しかもいちいち広く作られているので、やや移動に疲れるとはいえ快適度は低くない。会場内の食事だけは、質、価格ともに意識が高いとは言えないが、一昔前の日本の観戦事情を思い出せば、そう悪いとも言えないレベルにはある。
 確かに上海市内からはかなり遠く、アクセスも悪いが、このまま順調であれば、いずれアクセスの問題は改善されるだろうし、そうなった時に、彼らが「アジア最初のグランドスラムを」と言い出したら、施設の面でだけ言えば、すぐにでもできる環境はあると言っていい。
 
また、ほんの10年ほど前までは、中国のメディアはテニスに知識がほとんどない記者がほとんどで、タイブレークのルールさえ知らない記者がいたものだったが、今では多くの記者が普通に英語を操り、全てがそうだとは言わないが、テニスを見る目が確かな記者も増えている。会場整理の係員たちも、テニスというスポーツを理解し、また楽しんでいるし、その仕事ぶりでは、日本より部分的には上だと感じさせられる場面も多かった。
 この5、6年で彼らのテニス観は急速に進歩したように感じる。また、ファンは世界でも屈指の騒がしさだが、テニスを知らないで騒いでいるという雰囲気ではない。それは、きちんと知識を持った上での行儀の悪さであり、例えば、パリやニューヨークの観客に近い感覚がある。
 選手たちが居心地がいい、と口々に語るのは、そうした面も含めてのことだろう。
 それもこれも、上海にマスターズカップを招致し、また、継続して大きなイベントを繰り返して来て磨かれたセンスのはず。ファンや記者達も間近で彼らのプレーや言動を見ることで学習し、あっという間にトップクラスのそれを身につけた。今は時期的に微妙だが、のどかな時期であれば、日本人ファンも十分に楽しめる大会だと思う。
 日本にもできればもう一段階上の大会が欲しい。女子の東レPPOと並び立てるような、ATP1000級の大会があれば、日本人のテニス観も大きく揺さぶられ、いい形の未来が開けてくるのではなかろうか。
 そんなことを考えさせられた、今回の上海だった。
※写真:彼らにとってチケット代は決して安くないはずだが、それでも若者のファンが目立つ観客席。写真はクリックで拡大。
(取材/浅岡隆太・Text/Ryuta ASAOKA)