頑張れ、日本!
英国・ロンドンで8月29日からパラリンピックが始まる。車いすテニス競技は9月1日から始まり、8日には優勝者が決定する。
前回の北京パラリンピックでは、国枝慎吾がシングルスで「金」、齋田悟司と組んだダブルスは「銅」を獲得している。今回のロンドンパラリンピックは、国枝のシングルス2連覇がかかり、注目を集めている。また、国枝/齋田のダブルスはアテネ(金)、北京(銅)と2大会連続でメダルを獲得している。3大会連続のメダル獲得はなるのか。
ワールドチームカップと男子日本代表
日本車いすテニス男子が、2回の優勝の快挙を成し遂げたワールドチームカップ。 その歴史を見ていこう!
*2008年4月13日更新
日本男子ワールドチームカップ(国別対抗戦)にみる車いすテニス歴史
1976年 | ツーバウンドテニスとして、南カリフォルニアで始まる |
1983年 | ハワイのホノルルマラソンで、車いすに乗って参加した日本選手が、現地で車いすテニスの指導を受ける |
1984年 | 国内のリハビリプログラムに取り入れられたと同時に、神奈川県厚木市にて全国規模の車いすテニス大会が開催された。 |
1985年 | 世界で一番強い国を決める、国別対抗団体戦「ワールドチームカップ」が当時の出場国6カ国(日本チーム参加)で開催 |
2003年 | 第19回世界大会(ポーランド開催)で、日本男子チームがチャンピオンに。アジア諸国では初。「歴史的快挙」と世界に称される。参加国は男子31カ国。 この優勝は、過去の優勝国、アメリカ(9回)・オランダ(2回)・フランス(2回)・ドイツ(1回)・オーストラリア(4回)と5カ国であるが、そのうちオーストラリアを除く全てのチームと戦って優勝したことは、誰もが真のNo1と認めざるを得なかった結果であった。 |
2005年 | 世界大会(オランダ開催)、準優勝。決勝ではオランダに1-2で敗退。 |
2007年 | 世界大会(スウェーデン)。日本男子チームは23年目にして初めて第1シードに。 第1シードの重圧を撥ね退け、2005年に苦渋を味わった宿敵オランダを相手に、2―0のストレートで破り、4年ぶり2回目の世界チャンピオン国に輝く。参加国37カ国。 |
車いすテニス今後の課題(2007年8月時点)
今後は、日本選手全体のレベルを向上させるために、世界に通ずる技術力(テニスと車いす操作)、体力・気力などに留まらず、普段の生活における常識・良識においても世界レベルであり、人を引き付ける魅力を充分に兼ね備えている選手を育成して行くことが大切なことと感じている。
また、ワールドチームカップには「ジュニア部門」もあり、毎年ヨーロッパ各国を中心に入れ替わりで優勝をしている。但し、日本チームは参加したことはなく、国内での現状を分析しても、海外に比べ育成状況が思わしくない。
近い将来には、ジュニア部門にも選手を輩出できるような、選手育成を目指し、強豪国日本としての地位を確立していくことが必要である。
2007年までのワールドチームカップ(国別対抗戦)優勝国
計6ヶ国が優勝
1位 | アメリカ | 9回 |
2位 | オランダ | 5回 |
3位 | オーストラリア | 4回 |
4位 | 日本 | 2回 |
4位 | フランス | 2回 |
6位 | ドイツ | 1回 |
記事:丸山弘道