今日も時差ぼけでしょうか5時におきてしまいました。
体が言う事を聞いてくれません。
今日は少々お真面目なお話で。
タイトルにある『ライバル』
あなたにライバルはいますか?
必ずいますよね。そのライバルがテニス?お勉強?野球?。。絶対にいるはずです。
ライバルの設定は自由だと考えます。
『ライバル』の頑張りには必ず目を向けています。選手同士であったり。ご両親であったり、指導者だったり。
私はと言うと、昔を振り返りジュニア時代にはそのライバルの選手(自分が思っているだけでしたが)の県のお天気予報を今思えば調べていました。特に広島県が雨の時に。。
そのライバルは日本代表に選ばれたり、ナショナルチームで練習していたり常に私の1つ2つ先のテニス環境を確保していたのではないでしょうか。
どうすればこの選手に勝つことが出来るのか?普通に考えればどんどんと追い越されていく気がします。私は高校時代に1年間交通事故でテニスが出来ませんでした。
約2,3ヶ月の入退院、1年間のリハビリ、釘を抜く為に2回の再手術。
こうもテニスが出来なくなると人間は不思議とテニスがしたくなるものです。
この1年間の間にもライバル達の活躍がとうぜんあります。
1年以上のリハビリを頑張る事ができたのも『ライバル達』(しつこいですが自分で勝手に描いていたライバルです)のお陰だと思っています。
最初の手術で私の担当医がテニスを諦めて下さいと私の母親と当時のコーチであった平岡康治氏の前で言われた事を今でも忘れません。
平岡コーチはどのような気持ちになっていたのでしょうか?私は最悪、、泣きじゃくりました。
私に言ってくれたお言葉が『・・・・』思い出せません。
しかしこのお言葉で頑張れたと今では思っています。
1年後お医者様より条件を出されてテニスの許可を頂きました。
①ハードコート禁止
②アスファルトでのランニング禁止
③練習時間は1日1時間
④高校生終了まで
最初は守っていたのですが知らないうちに全部無視をしてがむしゃらに練習をしました。
私の高校にも2人のライバルががいました。いつも勝ったり負けたり、毎日練習を共にし。特にその1人は小学校からの同級生です。(当時硬式テニスで普通の団地に同じ目的を持った選手がいることはとても珍しい事でした)彼とは小学生から毎日練習をしました。お互い私達2人の存在がなければ今の自分達はないのではないかと話しています。
怪我から2年後の高校3年生時に私は勝手に自分で作ったライバルに勝利する事ができました。(誰かは直接聞いてください。この勝利は私の財産です)
テニスを始めて22年間いろいろなことがありました。
私は以外にも苦労している人間です。(そうは見えないかもしれませんが)
今Singaporeにいる事が出来るのもたくさんの理由はあるとは思いますが『ライバル』の存在は大きいと勝手に考えています。
ライバルがどこにいようと常に意識をして頑張ってきました。
なかなか素晴らしい話ではないでしょうか。
おはようございます。
コメント
誰かと何かを比べて一喜一憂するのはナンセンスですけど、常に目線を少し先、上に置き、卑屈になることなく、そこに向かって頑張る姿勢っていうのが大事なんじゃないでしょうか。
今、オッティの目線の先には誰が、何があるのでしょう。
ますます楽しみです。ますます期待しています。
ママのライバル・・・パパ?いや、それじゃ、ちょっと目標が。。。
未来で頑張ってる自分自身?
明確にもてないあたりに、ママの問題が潜んでいるのかもね。
そろそろ時差から解放されるといいね。お大事に。^^
読みながら涙が出てきました。小学生の頃から同じ目的を持ったライバルが居るなんて幸せですね。makoにも常に先を見て頑張っていってほしいと思います。
たまたま越智コーチのブログを発見したテニス愛好家です。
何を隠そう、中学~高校で広島にて
越智コーチのひとつ上で、他校のテニス部でした。
越智コーチの高校時代のケガ、当時皆が噂してました。
1年間のブランクがあったにも関わらず、復帰の
公式戦初戦からSFまで、
自分の試合の合間に見てました。
でも、そんな裏話が16年経って、
こういう場で聞けるとは・・・
なんとなく、そのライバルさんもわかる気がしますが
何より、当時の私の知ってる越智さん?と
今のキャラクラーにギャップがあり
そこが興味深かったです。(笑)
でも、変な意味ではないので悪しからず。
これからもシンガポールで体調に気をつけて
がんばってください。
同郷でもあり、当時を知るものとして
これからも応援させてくださいね。。。
恐らく私のことを書いてくれてると思い、メッセージ書きます。
そーだねー!交通事故あったね~なんて、今でこそ落ち着いて話せますが、
当時は本当にショッキングな出来事でした。
いつものように一緒に自転車通学をしていたときの事故でした。
事故直後はあまりの衝撃やらショックやらで、とにかく激しくめまいがして、
少しの間、私自身が事故現場で座り込んでしまい、立てなかった記憶があります。
それから長い間入院し、復活を果たすまでのリハビリやあらゆる努力は
並たいていのことではなかっと思います。
私が言うのもなんですが、その経験があったからこそ
更にひとまわりもふたまわりも強く、大きくなったと思います。
私がテニスを始めたときには、既に越智は広島県のトップ選手でした。
当時は県大会で1回戦を勝つのがやっとだった私にとって、これ以上ない
練習相手でした。(おこがましいですが、、)
同じ団地のコートでそれこそ雨の日以外は試験期間中でも休まず毎日練習をしていました。
私にとっては、テニスを本格的に始めたときから一度も勝てない相手だったので、
いつ勝てるようになるか、勝つ為に何をすれば良いか?正直そればかり考えていました。
私は社会人(実業団)までテニスを続けましたが、勝てない時期などは、
たまに試合会場であったときなどに、越智から何気なくかけてもらった
一言や越智の活躍が実は私にとって励みになっていたこともありました。
もちろん、現在のシンガポールでの活躍からも、多くのパワーをもらって
いるような気がします。
そんなことを考えていると、やはり私も勝手に越智のことを『ライバル』だと位置づけて
頑張っていたんだな~と思います。
長々と思い出話を書いてしまいましたが、これからも更なる活躍を期待しています!!
(何回も言っていて、まだ実現していませんが、何とか時間を作ってシンガポールにも
行きたいと思っています)
ポーラママさん
私の目標は・・・内緒です。
makotoの母さん
makotoも頑張ってくれるはずです。
一緒に戦いましょう。
モリオさん
広島男に恥じないようこれからも頑張ります。
n.takeさん
見てたか!なんか恥ずかしいね。