皆さんこんにちは
ベルリン訪問の続きです。
終戦後のベルリンの地図。ベルリンの西側(WEST)を英、米、仏の3カ国が管理して、東側(OST)をソ連が管理していた事が分かります。因みに、西ベルリンは東西ドイツが統一される1989年までは、西ドイツ領ではなく英米仏の(名目上は)管理下だったそうです。
東西ベルリンの行き来の様子です。ベルリンの壁は東側から西側への亡命者があまりも多い事から1961年に建設されました。壁は終戦直後から建設されたと思っていましたが、、、。
ルカレの小説でも有名なチェックポイントチャーリー(米国の検問所)にて、、、少し自分の世界に入ってしまいました。壁が崩壊した1989年は私がスウェーデンに留学をしていた当時の事でしたので、非常に強い印象として記憶に残っています。
現在では観光名所のチェックポイントチャーリー。博物館にも行きましたが、壁越えに際してのトリッキーな試み(当時の人々は真剣だったと思います)の数々が私の娘にはとても興味深く感じたようです。
DDR(旧東ドイツ)ミュージアム。入り口には「Warm Welcome」と書いてありましたが、中々面白い皮肉だなと思いました。行列にビックリ。
世界遺産の博物館だか美術館ですが、あんまり興味がなかったので素通り。
これも有名な博物館らしいが、素通り。次回は、芸術にも触れてみたいと思います。
氷点下の気温の中でアイスを頬張る愛娘とそれを優しく見つめるユーキ青年。アーティストとして留学中のユーキ君の話を聞く事は、時間が限られた中で優勝劣敗の世界に生きるテニス選手とは違った価値観と時間軸でとても優位意義な時間でした。
今回のベルリン訪問では、現在のドイツの首都としての顔と同時に、第2次大戦、東西冷戦、資本主義と社会主義のせめぎ合いの名残を街の至る所で感じる貴重な体験が出来ました。
今回は表面的な所しか見ることが出来ていないと思いますので、また、時間を作って再訪をしたいと思います。
ではまた
コメント
異業種交流は大切です。
孤独な時間も大切です。
妻と娘は人生最大の宝物です!
だろッ?
よい休暇を・・・