フェドカップのワールドグループ1部プレーオフ、日本対ベルギーの2日目が、22日に有明コロシアムで行われた。大会初日にシングルスで2連勝していた日本は、2日目のシングルス第1試合で森田あゆみがタマリン・ヘンドラーを下した時点で、チームとしての勝利が確定。その後、ダブルスでも勝利した日本は、通産成績4勝1敗の好成績でワールドグループ1部復帰をなしとげた。
※写真は、ワールドグループ1部復帰を決めた日本チーム、クリックで拡大
森田は勝利の瞬間、弾けるようにラケットを放り投げると両手を高々と掲げ、歓喜と安堵の入り混じった表情を見せた。2007年以来の、ワールドグループ1部復帰。森田には、どうしてもそれを自らの手で決めたい理由があった。
「私が初めてフェドカップに出た時、日本はワールドグループ1部でした」。2007年を森田はそう振り返る。
「その後、プレーオフのダブルスでの悔しい負けや、実力が伴わずに簡単に負けたこと。そしてタフなアジア・オセアニア予選など、本当に色々な経験をしました。ワールドグループ1部復帰は、まだ信じられない気持ち。みんなで、よくここまで帰ってこれたと思う」。
かつていた場所に戻るまでの道のりは、長いようで、それほど長くも感じないと森田は述懐した。
「とにかく勝つことが重要だった」という責任感は、時に22歳の双肩に、重荷としてのしかかる。第1セットは先にリードするが、5-3からのサービスゲームを落とし、追い上げを許してしまった。
大きなターニングポイントとなったのは、第1セット終盤の、ひとつのチャレンジ。6-5で迎えた相手のサービスゲーム40-30の場面で、ラリー中に相手のボールがアウトだと即断した森田は、プレーを中断しチャレンジを敢行したのだ。
確信を持っての、チャレンジ。だが日本ベンチを見ると、7人全員が「入っているよ」という顔をしていた。「えっ、失敗したかな」と後悔しかけたが、スクリーンに映し出されたボールの落下地点は、ラインの僅か外側。相手も「運がなかった」と嘆くこの1球が、試合の流れを決める分かれ目となり、第1セットは7-5で森田。
第2セットでは、ヘンドラーが森田との打ち合いを避けるように高いボールも使い始めるが、森田は格の違いを見せつけるようにウイナーを量産し、6-2で押し切った。
実は森田はヘンドラーと2008年に対戦しており、その時は当時15歳のヘンドラーに破れている。だが4年の歳月は、両者をランキング上でも自力の上でも、大きく隔てた。それはこの4年間、日本の主軸として数々の苦難を乗り越えてきた、森田の成長の証でもある。
この森田の勝利でワールドグループ1部復帰を決めた日本は、クルム伊達公子に代えて、20歳の奈良くるみをシングルス2に起用。今年2月の対スロベニア戦でも、奈良は同様の場面で登場し、フェド杯デビュー戦を勝利で飾っていた。今回も、日本の未来をになうであろう奈良に、少しでもプレッシャーの少ない場面で経験を積ませようというチーム全体の意図がそこにはあった。
これがフェド杯の有明デビューとなった奈良は、その期待に応えるべく奮闘。ベルギー期待の18歳バンアーツバンクに先行されるも、そのたびにブレークバックし、第1セットはタイブレークまで持ち込んだ。だがタイブレークでは、サーブの力がものをいう。180キロを超えるサーブを誇るバンアーツバンクは、接戦の末に第1セットを取ると流れをつかみ、第2セットは1ゲームも落とさず逃げ切った。
「5勝で終わらせたかったので、本当に悔しい」。
歓喜に沸くチームメートの中で、奈良は1人、悔しそうな表情を見せた。自分にかかる期待の大きさを知るからこその、悔恨。
試合後、クルム伊達から「勝負が決まった後だからこそのプレッシャーもあったはず。でも彼女(奈良)は、強い精神力を持っている。必ず、もっと強い奈良くるみになって戻ってきてくれるでしょう」とエールを贈られた奈良は、そっと目元をぬぐった。
日本の勝利を締めくくるべく登場したのは、先週のコペンハーゲンでツアー優勝した、藤原里華/クルム伊達のペア。息のあったコンビネーションで終始楽しそうにプレーし勝利をつかんだ2人は、「復帰までは長い道のりだった。ワールドグループ1部でも戦える、強い日本女子テニスでありたい」(クルム伊達)、「森田選手や奈良選手など若い選手に刺激をもらっている。私ももっとレベルアップしていきたい」(藤原)と、さらなる抱負を口にした。