震災から1年

今日の3月11日、14時26分は決して忘れることのできない日です。
ここ数日、様々な視点からこの未曽有の大震災を検証し後世に伝えていく番組が流れておりますが、本当に辛いものがあります。

あの日、あの時間、私は仙台市の駅前で遅い昼食を取っていました。
突然の激しい揺れを数分間の間に2回、
市内は完全に機能をマヒしておりました。

その数分後には巨大津波が沿岸を襲っていた事も、モバイルでその日の夜に知りました。

100万都市、多くの観光客が訪れる仙台市内の学校、避難所はどこも人があふれかえっており、横になって休める状況ではありませんでした。
私は、休む場所を提供していたビルのフロアーで野宿当然のような形で、余震にびくびくしながら朝を迎えたことは忘れられません。

その後1週間、同じように被災している方々に支えられながら過ごしたことは一生の財産です。本当に皆さんの心が温かったです。
ありがとうございました。

この1年間、日々の生活に振り回され何かができたわけではありませんでしたが、自分の家族子供達と真剣に向き合えたこと、話し合えたことは大きな意味がありました。
昨年を象徴する漢字にもなりましたが、

{ 絆 }を少しは持つことができたかな?

この事を決して風化させずに後世に伝えていくこと、自分にできることをコツコツと積み重ねていくことだと感じています。

今なお多くの方が避難生活を余儀なくされ、大切な家族と分かればなれになり、故郷にも帰れない状況が続いております。
1日でも早い復興と政策対応を祈るばかりです。


コメント

  1. 佐藤 和己 さん : 2012.03.26

    こんばんわ。堀越学園で1年の時に同じクラスでした、佐藤和己と申します。私はバレーボール部で2年の時に穎明館へ行ってしまったので山本氏の記憶に無いと思いますが。。。山本氏の事は私輪は良く憶えています。よく月曜日の全体朝礼で表彰されていなあ~と~思ってました。(卒業アルバムを見て頂ければわかるかな?)10年前まではクラブチームでバレーボールをつずけていたのですが、交通事故に遭い、利き腕の右手が肩から先が動かなくなってしまいました。そこで5年ぐらい前からテニスを始めてました。テニスにハナッテしまい、テニスの魅力にハマッテおります。もっと早くから始めればよかったと思う今日この頃です。そういえば!と思い出し、高校時代テニス部に強い選手がいたなと思い出し、山本氏を検索してみました。何か懐かしくてコメントしてみました。

    いきなり、すみませんでした。
    プロの選手に失礼だと思いますが、お許し下さい。

    お互い本厄・・・・・
    体には気をつけて頑張りましょう。
    これからのご健闘、ご活躍を楽しみにしております。

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