杉田祐一のテニス人生(後編)

そして大塚氏は杉田にこう告げたという。
「全日本ジュニア、インターハイ、スーパージュニア。これを取らないとプロ(で生きていくの)は難しい」

そこから杉田の快進撃が始まる。

2004年 全日本ジュニア16歳以下優勝。
2005年 インターハイ優勝、全日本ジュニア18歳以下単複準優勝。
2006年 大阪市長杯ワールドスーパージュニア、全日本ジュニア18歳以下単複優勝。
ジャパンF9フューチャ初優勝を見事に手にした。

――「実は2008年の昭和の森、そして有明国際、インドネシアF1,F2と、その頃決勝戦では1度も負けなかった時がありました。」

謙虚に話す杉田は、その時はこれまでと違い、自信がついたと話す。

しかしツアーは厳しく、彼のメンタルの強さをしても、シビアな世界で生き抜く難しさに、心をふさぎ込んだときもあった。

――「相談できなかったです。頑固なんですよね。
だから何か人に相談するのが苦手だった。それでふさぎ込むこともありました。昔は自分がこうだと思ったことに対しては、言わないと我慢できない性格だったので。たとえそれはコーチに対してもバチバチにぶつかりましたね。

でも、世界に出て試合をする中で色んなことが自分の中に落とし込めるようになった。余裕ができてやっとアドバイスをうまく分別できるようになった。自分の目指したい事はブレないけど、経験がある人こそ自分の意見を抑えないといけない場合が多くなる」

彼が一番辛かったときは“プロ2年目”。
幼少期からずっと日本でテニスをしてきた杉田にとって、一人見ず知らずの海外に遠征し、試合をこなしていくのは苦労もあっただろう。
言葉が違う中で、練習相手もその場その場で探さなければならない。

杉田はその時のことを「テニスどころじゃなかった」と顔を苦ませた。

――「テニスが上手ければ勝てる世界じゃない」

トップにいる選手は、誰も経験したことのないことを経験し、自国を背負って戦っている。
そこにかかるストレスや責任感を感じながら、試合にも勝たなければいけない。
それはおそらく、その人にしか分かることができないものなのだろう。

そして2017年、内面もフィジカルも一回り大きくなった杉田は、飛躍の年を迎える。

横浜、中国、英国のチャレンジャーに連続で優勝。
さらに、トルコでのATPツアーに初優勝。
日本人プレーヤーとして松岡修造、錦織圭に続き3人目のATPツアー優勝者になる。
7月3日付けのランキングでは、松岡修造の最高ランキング46位を抜き、44位に(現7/19時点43位)。
チャレンジャーレベルの選手ではない、一つ上のステージでの選手であることを世界中に示した。

5週間連続16試合をこなした杉田。ようやく届いたトロフィーを手に、やっと喜びを実感できた。

――「選手にはチャンスがなかなかまわってこない。チャンスを活かせずに終わる人もいる。でも自分にはチャンスがあった。助けてくれる人がいた。この幸運に感謝して、自分の目指すこと、やるべきことをやっていきたい」

彼のテニス人生は、様々な人の色が入りながら、今も尚輝いている。

杉田選手からのメッセージ

インタビュアー:塚越亘 記事ライター:塚越景子 撮影:山本常知 取材協力:ダンロップスポーツ様