北京パラリンピック金メダルを獲得した車いすテニス世界ランキング1位の国枝慎吾が、4月13日に東京都渋谷区の岸記念体育会館スポーツマンクラブで記者会見を行い、車いすテニスでは日本初となるプロ転向を宣言。プロ選手としての決意や今後の目標、車いすテニスへの思いなど、その熱い胸中を語った。
会見には、日本テニス協会の渡辺専務理事も同席し、世界ランキング一位の国枝慎吾選手がプロ転向することによる車いすテニスの大会規模の拡大や国枝慎吾選手のリーダーとして改革への期待を述べた。

プロ転向について

090413_02.jpg今回のプロ転向について、国枝慎吾選手は北京パラリンピック後の進路をパラリンピックの結果次第で決めるつもりであった。パラリンピックが優勝という結果が出せたことと、北京での金メダル以来、テレビで大きく取り上げられるようになり、車いすテニスがスポーツとして多くの人の目に触れるようになったことで、車いすテニスや障がい者スポーツの普及と発展のため、プロ転向を決意したと話した。

プロ転向でどう変わるか

国枝慎吾選手は、勤めていた麗澤大学を昨年12月で退職したことを明かした。いままでは職員として収入が保障されていたが、これからはテニスの成績に身を置き、賞金やスポンサー契約を主な収入源として生活していくことになる。メインスポンサーについてはいま探しているという。これについて国枝選手は、「保障されているのはプロではない。テニスの成績が生活を左右することになるので、これまで以上に成績にこだわっていきたい」と決意を語った。

車いすの子供に夢や希望を与えたい

国枝慎吾選手は、会見の中で「人間の可能性は、全力でやってみなければわからない」と語った。「車いすでもここまでできる!」ということを示し、障がいを持った子供たちに(国枝選手のように)車いすテニスプレーヤーになってパラリンピックの代表選手として大観衆の前でプレーしたいと思うようになってもらうことをプロ選手としての目標として挙げた。
高校生の時に海外遠征で衝撃を受け、それ以来テニス一本でやってきた。世界ランキング1位となり、北京パラリンピックでは金メダルも獲得した。それでもなお、国枝慎吾選手の挑戦は続く。今年の最初の大きな目標として、国枝慎吾選手は全仏の優勝を挙げた。最大の目標はパラリンピック。プロ選手としての国枝慎吾選手の今後の活躍にも注目していきたい。
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国枝慎吾 プロフィール

1984年2月21日生まれ(25歳)
東京都出身。千葉県在住。
利き腕 : 右利き
フォア  : 片手
バック  : 片手
得意なショット、得意なパターン : サーブ&ボレー、バックハンド

9歳の時に脊髄腫瘍により車いすに。11歳から(財)吉田記念テニス研修センターにて車いすテニスを始める。
17歳の時に、丸山弘道コーチの指導を受け始め、本格的に海外ツアーを回り始める。
2004年、アテネパラリンピックで斎田悟司選手とペアを組み、ダブルス金メダル。
大学卒業後、母校である麗澤大学で職員として働きながらツアーを転戦。
2007年、年間グランドスラム達成
2008年、 北京パラリンピック シングル金メダル ダブルス銅メダル
2009年4月、プロ転向を宣言。