テニスを愛する皆さんこんにちは
今年の全英で私が気になっている事の一つは、芝生の状態の
変化です。去年までは、2週目のこの時期はベースライン近くの
芝生は殆ど磨り減って地面の土が露わになっていましたが、
今年は芝生がシッカリと残っています。(色は変わっています)
シューズの溝(ここはスパイク)は去年と変わっていませんので、
芝生の目の細かさが変わったのかもしれません。いずれにせよ
ロンドンオリンピックの開催される2012年までに、シューズの
スパイクの変化や芝生の質の向上等、幾つかの変更があると
考えられます。(全英とオリンピックの時期が近い為です)
選手のプレー領域はどっしりと後ろで、マッケンローやエドベリが
活躍した頃のサーブ&ボレーは殆ど見られませんね・・・。
それでもサーブとリターンの1stショットの確立と質が、ポイントの
流れを決めるのは変わりません。
一日中、試合を見ながら色々な関係者と話をするのですが、多くは
各選手の欠点についてです。「・・・の欠点は直るか否か」です。
個人的には、心・技・体の全てにおいて欠点は生涯ついて回ると
考えています。あるレベルで欠点を克服できたら、次のレベルで
同じ欠点が頭をもたげ、また克服ー次のレベルー克服ー次のレベルの
繰り返しになると思います。(世界一になっても変わらない?)
良い部分を伸ばすのはもちろん大切ですが、欠点との付き合い方、
向き合い方を学ぶ事が、一人の選手が出来上がるまでのプロセスに
おいて非常に重要であるという事が言えるのではないでしょうか・・・。
欠点を愛してこそ、真の愛・・・なんてね。(違う?!)
ではまた。
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コメント
こんにちは。
気になったので、久し振りにコメント :-)
スポーツに限らず様々な場面で、よくこんなことが言われてると思います。曰く…
日本人は欠点を直そうとする教育(育成)をする
欧米では長所を伸ばそうとする
日本と欧米という括りで比較するかどうかはともかく、人と接するときには、多かれ少なかれそういう視点が入ってきますよね。
実際には両者のバランスであり、誉められて成長するor焚きつけられて成長するといった性格の問題であり、様々な状況が絡んでくるものだと思いますが、スポーツ選手の育成という、そういう要素がもっとも顕著な現場では、その辺り、どうなんでしょ。
濱さんの文章も微妙な綱渡りのニュアンスを含んでますよね。
欠点を克服すること 一方で 欠点を愛すること
まーちなみに、“惚れる”とは欠点も含めて愛せること、らしいですが 😀
Tomoへ
コメントありがとう。
スポーツにおける欧米と日本の違いについてだが、基本的には
時間軸の違いが根本にあると私は考えています。日本の場合はジュニアの時代(変わりつつある?)基本的には部活動で多くの時間を過ごすわけだが、ここでは3年以内に結果を出す事が求められるで、欠点を消す(うん良い表現だ!)事が結果への近道と言えると考えられます。クラブテニスでも18歳で終わりなので概ね状況は似たり寄ったりです。
これが欧米(特に欧州)の場合は、選手が育つまでには時間がかかる事を選手もコーチも良くわかっていると思います。長所を伸ばして、欠点とも上手く(長く)付き合う事を知っていると思います。もっと言えば欠点も含めて「プロ」という商品は
完成品になり得るということです。
F1で言えば「速いけど止まらない・曲がらない車」と「直線は
劣るが良く止まり・良く曲がる車」は、同じコースを走っていても戦略が当然違う。しかし、両方とも完成品です。
それぞれの戦い方を作っていくという事でしょう。
先日、友人が送ってくれた新聞の切り抜きに「日本ではデザインという言葉の概念が正しく理解されていないのではないか」
「デザインとは何かを発想することであり、それを紙の上に描く技術者ではない」「日本のデザイン学校は絵を上手く書く技術ばかり教えているのではないか・・・」のような事が書いてありました。
全体を俯瞰する能力がもっと必要という事だろうか・・・。