テニスを愛する皆さんこんにちは
いつも親しくさせて頂いている山形コーチのブログに、
以下のような記述が載っていて、ここ数日頭から離れ
無いので紹介させていただきます。
~~~~ここからです。~~~~~
岡本先生(元京都大学・京都女子大学教授)の著作に、
「しつけ」について書かれている興味深い文章がありま
した。「しつけ」という言葉は、もともと「着物を仕付ける」
ということに結びついて成り立ってきた言葉であることを
受け、「しつけ」という言葉の本質について言及されたも
のでした。
先生は、「『躾』という字がもたらす意味よりも、この『着物
の仕付け』を背景とする意味のほうが、子どもをしつける
過程の本質をよく表しているのではないか」と述べておられ
ます。ご存知のように、「仕付け」とは、着物の形が整うよう、
仮に縫いつけておくことを言いますが、そこで大切なことは、
着物がやがて縫いあがると、仕付けの糸がはずされるという
ことです。着物の完成をもって、もはや仕付けの糸はそこに
あってはいけないものになるのです。
(省略)五歳から七歳の子どもたちは、いよいよしつけ糸を
はずしはじめる年齢にあたります。それまでは親が外側から
枠組みを与えて、子どもに行為や生活習慣をかたちづくらせ
ていたのですが、いよいよその枠をはずして、子どもが自分の
力でみずからの行為や生活習慣を生み出しはじめる時期に
入っていきます。
しつけ糸をはずすことは、いうまでもなく、子どもを本人の
自律にゆだねることです。しつけとは、もともと自律に向けて
のしつけなのです。外からの強調によって社会のきまりを
あてがうことよりも、むしろそうした外的強制をとりはずすこと
をめざすものです。しつけが不要になるようにしつける、
といってよいかもしれません。
また 違うサイトで こんなこと 見つけました
「教育」を英語では「エデュケーション」と言います。この言葉は
ラテン語の「エデュカーレ」(引き出す)を翻訳したものだそうです。
ですから「教育」とは、一般に思われているような「教える」
「与える」というニュアンスはなく、子どもが潜在的にもっている
才能を「引き出す」ことなのです。
このことからも、勉強を大人が押しつけたのでは子どもの才能は
開花できないということがわかります。むしろ逆であり、「いかに
して子どもが意欲を高め、自発的に勉強に向かうようにするか」
という発想こそ、親や周囲の大人には求められるのです。
子どもが勉強に対する前向きさを欠いてきたら、勉強の主役が
子どもでなくなりつつあるということです。何が子どもの意欲を
失わせているのか、そこから考えていく必要があります。
~~~~~ここまで~~~~~
親として、コーチとして、考えさせられました。
コメント
濱浦さん、
「いかにして子どもが意欲を高め、自発的に勉強に向かうようにするか」
本当にそう思います。親としてそうできているかは分かりませんが…。
高田さん
コメントありがとうございます。
私は親として、コーチとして、日々反省の
繰り返しです。
初めまして
テニスクラブのコーチをしています。
「躾」「仕付け」・・・とても考えさせられました。
どうしたらいいのか?答えは出ませんがこれからの指導に
生かして行きたいです。
黒熊のぷーさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
考えてみると・・・強く押さなくてはいけない
時もあったり、本人に任せたほうが良い場合も
あったり・・・相手もいることですので、やはり
教育は生き物なのかな・・?と”今日は”思います。