スポーツを愛する皆さんこんにちは
よく「名選手は名監督(指導者)にあらず」と言われます。
個人的には、選手の経験には指導者としてのアドバンテージ
があると思っています。その競技に深く関わってきた経験は
何物にも変えがたいのでは無いでしょうか。
統計的には、名選手は名監督になっていると思います。
名選手が良い指導者になりきれない例も確かにあると思います。
その殆どは、現役引退後に「他にする仕事が無くて、仕方なく」
程度の気持ちで、指導に関わっているケースが殆どでしょう。
(目標が見つからない人は多いと思います)
一般社会でも同じだと思います、「この会社でがんばる」という人と
「仕方なく」働いている人では、同じ能力を持っていても、出来る
仕事のレベルには差がついてくるはずです。
プロ競技に関わる指導者の場合、常に解雇=クビになる可能性が
あります。選手をクビになるのは、能力を否定されるという事ですが、
指導者をクビになるというのは、人格を否定されるくらいのショックが
あると思います。
そのショックに打ち勝つ事、正面から向き合う事が出来る
覚悟が無い限り、指導者を目指すべきではありません。
(少なくともプロの競技に関わるべきではない)
マラドーナがアルゼンチンの監督になるという・・「名選手は・・」
なんていう陳腐な言葉は、吹き飛ばしてもらいたいと思う反面、
多分、続かないだろうなと・・・思ってしまう。
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コメント
濱浦様。
日本では、ある程度名が売れた選手でないと指導者になれない風潮があると思います。
欧米では優れたコーチング理論を持ち、選手時代は無名であってっも指導者として名を成す方は多いですが、国内では「元巨人軍選手」などの名前で指導者になる方が多いのではないかと想像します。
ネームバリュー/肩書き、に特に弱い日本ならではかもしれません。
その為、指導者としての理論よりも、自身の選手時代の経験則「のみ」が最前面に出てくることの弊害があるのではないでしょうか。
選手としての経験はもちろん重要ですが、それは正しい指導理論あってのことだと思うのです。
Tanaka様
全く同感です。「指導理論」を学ばない事の背景には、
自分がどのような指導者になりたいのか?という、自分自身のビジョンが無い事が原因ではないかと考えています。目的や目標が明確でないまま、選手から指導者になると「経験則」が全てになってしまうと思います。