テニスを愛する皆さんこんにちは
Transition、日本語に訳すると移行期、過渡期です。
我々テニス業界では選手がカテゴリーを上げる時に、
良く使われる言葉です。
例えば、「OO選手は上手くプロの世界にTransition
出来るかな?」という使い方です。
今日、ATPロッテルダム大会のナダル対ディミトロフ選手の
試合を観ました。ディミトロフは去年の世界JrNo1で、全英、
全米のJr部門で優勝しています。
かなり派手なテニスで、誰が見ても「おおっ!」と驚くプレーを
披露してくれます。全米以後は、コーチも決まらずフラフラして
いたようですが、最近ルンドグレン(元フェデラー・サフィンの
コーチ)に一応コーチも決まったと聞いていました。
WCで出場した今大会では、1Rでベルディヒを破り、ナダルの
試合では、3rdセットの途中までは、ナダルがガチガチになる
くらいプレッシャーをかけていました。
最後は、足がつってしまいましたが、それでもナダルが押し
切るのに苦労していましたから、本人としては所謂、「自信」が
「確信」に変わったという手応えはあったと思います。
ディミトロフ選手の名前は、覚えておいた方が良いと思います。
最初のTransitionは、14歳以下から16,18歳以下に上がる時
だと思います。特に15・16歳くらいの年齢は、心身ともに変化
する時ですから、この時期はコーチが非常に気を使う時期です。
(学校等の問題もあり練習・生活環境も変わる時期です)
ミーシャのジュニアからプロへのTransitionは、大変でした。
16歳の時には、ITFJrでTop10、ATPも500番くらいでしたが、
19歳になる年のスタート時点で、まだ500番でした。
彼と二人で試合を回っていた時には、6大会連続初戦負けも
あって相当凹んでいたのを覚えています。17歳の時にラケットを
長くした事は、それまでのテニスを崩す一因だったと思います。
たったの1inchですが、ストロークは完全に崩れました。
(長ラケを薦めたのは私なので、今でも責任を感じています)
怪我の功名で、ネットプレーが上達した事は、その後の助けに
なりましたが、19歳になる年の最初は「今年ダメだったら大学
を探そう」と話していました。そんな話をした後直ぐのフューチャー
で優勝して、年の終わりには150番くらいまで上がれました。
今年の全豪が終わって、ラケットを短くしたので(しかも市販の
ラケット)、ちょっとストロークが良くなりました。
日本の男子選手もTransitionには、伝統的に苦しんでいます。
錦織選手以外にも、これまで可能性のある選手は、沢山いた
と思いますが、ジュニアからプロに上がる時に、ちゃんとコーチ
をつけていたのは、松岡修造さんくらいではないでしょうか。
(松岡さんも最初は殆ど一人で戦ったと思います。)
もちろんコーチが全てではありませんが、何の標識も無い道を
一人で進んでいくのは、大変な困難が伴うと思います。
自分が進んでいるのが、正しい道なのか如何なのか?
知らぬ間に、時間は過ぎていくと思います。
多分、今の現役選手にもそのような選手が沢山いるのでしょう。
コーチを雇うのは、もちろんお金がかかります、でも選手が望めば
世界の果てまで着いてくる・・・という人もいるでしょう。
困難を分かち合えるコーチもいるでしょう。
現役の時にコーチを着けて遠征していたら、人生変わって
いたかも・・・という人はかなりいると思います。
私は旅行が大嫌い、車の運転が大の苦手です。ミーシャとの
6連敗は、軽自動車でハンブルグ発、チェコ・スロバキア・
オーストリア・イタリアの旅、お金も無かったので殆ど一つの
ベッドに二人で寝てました。(床で寝たら風邪引くしね)
でも、その前の遠征(やはり負けた)の時に、「又来てくれる?」
「いいよ」の後に、「二度と来ないと言われたら・・・と、不安
だったよ」・・・この子は何とかしちゃらんといけんね・・・と
思いました。(もう二度と行きたくありませんが・・・)
今では、彼の方が物知りになって、私の方が教わる事が
多くなりました。
Transitionの話でした。
コメント
いつも読ませて頂いております。考えさせられたり、勉強になったりと 毎日楽しみにお邪魔させて頂いております。
書き込みは初めての上、突然で大変失礼かと思い悩んでおりましたが、今日のテーマがあまりにタイムリーだったので、思い切ってご相談したいと思いました。コメント上ではない何か方法がありますでしょうか?本当に勝手で不躾な事と十分承知ではありますが、御一考頂けたら幸いです。
KIKO様
コメントありがとうございます。
デリケートな問題だと思いますので、
少々お時間を頂けると幸いです。