読書と書籍という概念

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本は選手時代の時に読むようになった。 小説からエッセイ、歴史書、今ではビジネス書、簡単な哲学書なども読むようになった。 その本だが流通から何から数年前(正確に数えてみたら十数年前) から比べるとまったく、確実に(definitely)変わって来ている。
自分が意識して本を読むようになったのは二十歳ぐらいの時。テニスの調子、怪我、恋愛まで色々な悩みがぶつかりテニスもスランプに陥っていた。そんな時に藍先生から三十冊近い本を日本を出発する前に渡された。その中に吉村栄治さん宮本武蔵八巻が含まれていた。当時歴史小説、歴史自体にまったく興味が無く、嫌々アメリカから1冊だけブラジルの遠征に持っていった覚えがある。何も読む本がなくなった時に宮本武蔵を読み始め、歴史小説が面白いと思った。その後のオランダの遠征には全巻持って遠征に出たのを覚えている。
それからか日本を出発する前は本を買いに行くのが遠征前のルーティーンとなった。本を買うと言っても物理的な制限、勿論新書なわけだから経済的な制限もある。大体1万~2万円ぐらいではなかっただろうか。スーツケースの重さも遠征が終りに近づくにつれ軽くなる。読み終わった本は置いてくる、他の選手にあげるからだ。
その後、ブックオフなど古本の大手チェーンが出てきた。本の数も豊富で物理的な制限は変わらなかったが経済的制限が3分の2もしくは半分ぐらいまで軽くなったのでより本が買いやすい環境になった。
選手引退後、シンガポールに住むようになり、紀伊国屋などで買うことが出来るが日本の1.5倍以上、買うのも限られるので日本に帰国した際に買って帰る。買い方として帰国後本屋に向かう。遠征時よりも海外にいる期間が長いのでより多くの本を買ってしまうので選ぶ時間も多くなってしまう。
そしてここ数年ではAmazonが出てきた。必要な本は予めAmazonで購入、帰国後自分の机にはオーダーした本が既に置いてある。日本に帰国した際にはタイムリミットがあるのでフィジカルな部分、労力が省けるのはとても大きい。
Amazonの素晴らしいところはインターネットで購入できることだが、決済とフィジカルなものが省けるのはただたんに「面倒くさいから」と言うだけではなく、海外在住者は買いに行きたくても行けない人などにはとても有り難い。特にその力を発揮するのは、日本に一時帰国する人にお願いする時である。決済も買いに行って貰う労力もかけず(特に本1冊の為になど)にお願い出来ることはとても頼みやすいし頼まれやすい。
それでも持って帰る物理的な部分は未だに変わらない。日本にはそう頻繁に帰らないので本を買って帰るのは遠征時よりも多くなる。超過料金も取られてしまうぐらいだ。
そしてiPadの登場。次回はiPadがこの世に出て、どのようにして劇的に変わったのか説明をしたいと思う。これが選手時代にあったら遠征の仕方がかなり変わったのではないかと思うぐらい。


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