7年ぶりにジャカルタに行き、その街の変わりようにかなり驚いている。 今回はミーティングが中心のビジネストリップであったため、何よりも経済という視点からジャカルタをみるようにした。
一番は人口(population)というものをキーワードにした。日本では少子化 〃 と騒がれている中、「人口が多いとこのようなものになるのか」「このような可能性を秘めているのか」など今までと違った視点で見ることにした。日本の少子化問題は薮中三十二さんが国家の命運の中で訴えているように、真剣に国策として取り組まなくてはならない程深刻な状況の中、では実際に人口が多い国、そして伸びている国は、どのような所なのかを実際に見て肌で感じてみたかった。今でも人口が増え続けているインドネシアは、これからの伸びる可能性がとても高く、エネルギー溢れる街であった。
1998年、アジア通貨危機でインドネシア経済崩壊の時期に、そしてスハルト政権の崩壊前と崩壊後に試合で何度か来た当時は、今回滞在したGRAND HYATT前にあるロータリーではPDIのデモ隊が占拠していた。タクシーで通った自分たちは流石に身の危険を感じた程で殺気溢れていた。オフィシャルホテルで宿泊した中華系のホテルは投石の跡が生々しく残っていた。
その後インドネシアは民主化の時代を迎えて今日に至っている。宗教色が強い国であるがインターネットというインフラができあがり10年前と比べると経済の動きはより比べものにならないぐらいの加速を増すのではないかと肌で感じたインドネシアの旅であった。
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コメント
懐かしいお話ありがとうございました。1996年から4年弱ジャカルタに住んでおりました。アジア経済危機のあの当時起こったジャカルタ大暴動後、静まり返った(一旦死んでしまった)夜の街を車で恐る恐る移動し空港に7時間待機してANA臨時便で脱出したことを今でも鮮明に覚えています。そんなことがあっても大好きな国でした。人も優しく様々な点でタイと似ています。ただタイ人の方が100倍働き者だと感じます(笑)。あの国がタイ以上に発展するとは到底考えにくい・・・(苦笑)。久々に訪れてみたくなりました。
懐かしいお話ありがとうございました。1996年から4年弱ジャカルタに住んでおりました。アジア経済危機のあの当時起こったジャカルタ大暴動後、静まり返った(一旦死んでしまった)夜の街を車で恐る恐る移動し空港に7時間待機してANA臨時便で脱出したことを今でも鮮明に覚えています。そんなことがあっても大好きな国でした。人も優しく様々な点でタイと似ています。ただタイ人の方が100倍働き者だと感じます(笑)。あの国がタイ以上に発展するとは到底考えにくい・・・(苦笑)。久々に訪れてみたくなりました。
懐かしいお話ありがとうございました。1996年から4年弱ジャカルタに住んでおりました。アジア経済危機のあの当時起こったジャカルタ大暴動後、静まり返った(一旦死んでしまった)夜の街を車で恐る恐る移動し空港に7時間待機してANA臨時便で脱出したことを今でも鮮明に覚えています。そんなことがあっても大好きな国でした。人も優しく様々な点でタイと似ています。ただタイ人の方が100倍働き者だと感じます(笑)。あの国がタイ以上に発展するとは到底考えにくい・・・(苦笑)。久々に訪れてみたくなりました。
懐かしいお話ありがとうございました。1996年から4年弱ジャカルタに住んでおりました。アジア経済危機のあの当時起こったジャカルタ大暴動後、静まり返った(一旦死んでしまった)夜の街を車で恐る恐る移動し空港に7時間待機してANA臨時便で脱出したことを今でも鮮明に覚えています。そんなことがあっても大好きな国でした。人も優しく様々な点でタイと似ています。ただタイ人の方が100倍働き者だと感じます(笑)。あの国がタイ以上に発展するとは到底考えにくい・・・(苦笑)。久々に訪れてみたくなりました。
Jさん
自分もタイでは赤シャツ占拠で家に帰れない日があったのでお気持ちを察します。