「風を感じた」

競技用の車いすに初めて乗ったときの気持ちを16歳の車いすテニスプレーヤーの小田凱人はこう表した。

9歳の春、靴下も履けなくなるほどの足の痛みを感じて病院へ行き、診断されたのは左股関節の「骨肉腫」だった。

「まだ幼かったので、病気というものが何なのかもよくわかりませんでした。ただ、ずっとやっていたサッカーができなくなる。みんなと同じような普通の生活ができなくなるという思いでした」と当時を振り返る。

手術の後、回復のために転院したリハビリの病院で、「スポーツが好きならパラスポーツというものがあるよ」と主治医に薦められ、月に一度、病院所有の体育館で行われるスポーツ体験会に参加した。

初めて見る競技用の車いすは、「とにかくカッコよかった」。そして、乗って、動かした瞬間、冒頭の言葉へとつながる。

「風を感じたんです。普段使用しているものとは違いスピードが出る。何より、とにかく楽しくて、気持ち良かった」

この車いすに乗ってスポーツがしたい。その思いがスタートだった。そして色々なパラスポーツの動画を見ているうち、小田の心を最も動かしたのが“テニス”だった。

「陸上や、バスケットボールは足の手術をする前も経験したことがあったのですが、テニスは経験したことがありませんでした。そんな時、国枝慎吾さんのロンドンパラリンピック決勝の映像を見て、衝撃を受けました」

多くの観客を前に声援を受け、決勝という緊張感の中、2人で向き合い、戦う姿に無性に心惹かれた小田は、近くにあった諸石光照(車いすテニスクアード部門・東京パラリンピック銅メダリスト)選手が主催する練習会へ参加する。

車いすを操作しながらラケットを持ってボールを打つのは、決して簡単なことではなかったが、その時は「思ったよりも、できたかな」という。ボールを打つことの爽快感が楽しかった。

国枝慎吾のロンドンパラリンピック決勝を見て、テニスをしたいと思ったという小田。

サッカーに熱中し、もともとスポーツが得意だったその才能は、諸石氏の目にも止まり、技術も上達していく。

2018年、12歳から国内のITFシニア大会へ参戦、翌年オランダで開催されたITFジュニアでは2大会連続優勝を果たす。

2020年にはフランスで開催された世界ジュニアマスターズで単複史上最年少優勝(13歳8か月25日)。同年には世界ジュニアランキング史上最年少1位(14歳11か月18日)を達成するが、小田はその快進撃を意外にも冷静に受け止めていた。

「もちろん勝ってうれしいという思いはありましたが、オランダで初めて優勝した時も、マスターズで優勝した時も、正直、ノリと言っては変かもしれませんが、元々サッカーをやっていた頃のセンスのようなもので生まれた結果でした。練習も週に1度くらいしかしていなかったし、フランスでは借りた車いすでしたし…」

そう考えていた彼にとって、より競技に向かい合うきっかけとなったのが、その後に訪れたコロナ禍だった。

「その頃から、熊田(浩也)コーチに見ていただけることになって、練習も週に3〜4回に増え、テニスに対する取り組み方も変わりました。練習もただ普通にするのではなく、自分で何が必要なのかを考えるようになりました。もちろんそれが全てうまくいくわけではなく、理想と現実がわかって最低限のクリアしたいものが生まれてきました。それを達成するための練習だと考えられるようになったのが、成長できた一番大きなところだと思います」

そんな彼を後押しするように、遠征のための資金を支援してくれるスポンサーや、用品のサポートも受けられるようになった。熊田コーチがフルタイムで帯同することも決まり、「プロになりたい」と漠然と抱いていた思いが小田の中で一気に現実味を帯びてきた。

両親やマネージメント会社と相談の上、高校は通信制に進み、今年の4月、15歳でプロ入りを宣言。「どの選手もテニスに人生を懸けているなかで、プロになることは年齢に関係なく必要だと感じました」と、記者会見で語った。

4月28日、プロ宣言を行い、新しい1歩を踏み出し始めた。

では、小田にとってプロとアマチュアの違いはどこにあるのだろうか?

「自分が目指すのは、世界のトップオブトップです。そのレベルにいる選手達は、プロの中でも特に意識が違う。優勝する、しないだけではなく、テニスの練習はもちろん、それ以外のところで“普通”の基準が高い人です。自分の当たり前が、他の選手からしたらものすごいことをやっていると思われる人が本当のプロであり、自分が目指すべき姿だと考えます」

伊達公子さんはジュニアに「夢を叶えるためにはやるべきことがたくさんある。そのためには強い覚悟と意志が必要」と説き、錦織圭も「やる気がある、ないは関係ない、やらなければトップにいけないからやる」と語ったことがある。シンプルだが、トップアスリートとして重要なメンタリティを小田はすでに兼ね備えている。

目標とする世界最年少No.1を目指すためのスタートを切った小田は、自身初となるグランドスラム、全仏オープンの出場を目前に控えている。これまでは8ドローで行われていたが、今年から12ドローに増えたことによって、実現した初出場だ。

彼の持ち味である左利きのサービス、強いスピンボールは、クレーコートに一番の適正があると言える。

「僕自身のプレーがクレーだから特別変わるということはないのですが、相手にとって嫌なプレーになるということは明らかで、球質や、スピンの量で優位に立つことができると思います。際どいところを狙わなくても、決まることが多くなる」と、自己分析する。

「スピード感は僕の持ち味です。スイングスピードだったり、ボールの速さだったり、車いすを漕ぐスピードを見てもらいたい。まだ16歳なので、挑戦者として思いきり戦います」

ローランギャロスのクレーコートで、風を感じながら疾走する。

パリのNIKEショップにて全仏出場前、リラックスした表情を見せる。(本人提供)

■小田凱人(おだ・ときと)
2006年5月8日、愛知県生まれ。
9歳の時に骨肉腫を発症し、車いす生活に。入院先の先生からリハビリを兼ねて車椅子のスポーツを勧められ、車いすテニスを10歳から始める。競技開始直後から次々と結果を残し、わずか5年あまりでITF車いす世界ジュニアランキング1位、シニア9位のランキングとなった。目標は世界最年少No.1(※現在はアルフィー・ヒュエットの20歳1か月23日)。

2020年2月  世界ジュニアマスターズシングルス・ダブルス優勝
2021年4月  世界ジュニアランキング1位(14歳11か月18日は史上最年少)
2021年10月 世界国別対抗戦パリバワールドチームカップジュニア(団体戦)優勝
2022年5月 世界国別対抗戦パリバワールドチームカップ出場
(国枝慎吾、小田凱人、眞田卓、三木拓也)
2022年5月 全仏オープン出場

取材・原稿/保坂明美