世界で活躍する日本人テニスプレーヤー

今やトップ200に4人の選手を送り出し、世界の強豪国の一角を占めるまでになった日本男子テニス。その軍勢を牽引するのが、トップ20位を突破した錦織圭なのは、誰も異論のないところだろう。さらに現在、世界を舞台に活躍し、ときに世界を驚かせる日本人は何も錦織ひとりではない。

錦織ら若い世代が台頭するまでの日本テニス界を、トップランナーとして支え続けた添田豪。幼少期から錦織を知り、その存在を身近に感じることで世界を意識してきた、伊藤竜馬。

錦織が負傷のため欠場した2012年フレンチオープンにおいて、それぞれの個性で世界に日本テニスの存在を強烈にアピールしたのは、この2選手であった。

イギリスメディアからも、好意的に受け止められた伊藤のユーモア

フレンチオープン開幕日の、前日のことである。会場ではトップ選手によるエキジビションなどが行われ、大会に向けファンも選手も気分が高揚していくその最中、突如プレスルームに、伊藤竜馬の会見が行われるというアナウンスが流れた。

グランドスラムなどの大会では、報道陣が選手に会見やインタビューのリクエストを出し、選手が了承すればそれは実現する。だが通常、会見は試合後に行われるものであり、大会前に行われるのは極めてまれなことだ。

いずれにしても伊藤の会見は行われ、そして会見場にやってきた彼は、一瞬、顔をこわばらせることになる。なぜならそこに待っていたのは、日本の記者たちでなく、見慣れぬイギリスの報道陣だったからだ。

「会見場に行くまで、イギリスの報道陣からの要請とは知りませんでした」

本人にとっても寝耳に水のこの会見は、伊藤の初戦の対戦相手が、イギリスのスター選手アンディ・マリーだったために行われたものだ。つまりイギリスの報道陣は、マリーが初戦で対戦する“タツマ・イトー”なる日本人が、いかなる選手なのか情報収集したかったのである。

期せずして行われた、慣れない英語での会見。最初は大いに戸惑った伊藤だが、それでも聞かれる質問に対し、自分の言葉で誠実に応対していく。さらには「憧れた選手は誰か?」と問われ「アガシです。彼に憧れるあまり、頭を剃って坊主にしていた」とユーモラスに応じると、イギリスメディアからもドッと笑いが起きた。伊藤が持つ独特の清々しさは、イギリス人たちも十分に感じたようである。

サムライさながらの勇猛さで、パリっ子たちの心をつかむ

「戸惑い」から始まり、「自分をアピール」へ向かうその流れは、会見場だけでなく、コートの上でも同じだ。いや、伊藤がコート上で示したインパクトは、会見場のそれよりはるかに鮮烈だった。

初めての全仏オープン、初めての大きなスタジアム、そして初めての世界トップ4との対戦――。何もかもが「初めてづくし」のマリー戦では、最初は本来のプレーが出せなかったのも当然だったかもしれない。だが途中から「自分のテニスを相手に見せるしかない」と意識を変え、持ち味であるフラットの強打、通称“ドラゴンショット”を次々に叩きこんでいく。斬るか斬られるかのリスクを負い、強豪相手に全身で斬りこんでいく伊藤の姿は、フランス人が抱くところの“サムライ”のイメージとも合致したのだろうか。伊藤がポイントを奪うたびに歓声と拍手が沸き起こり、会場はいつの間にやら「イトー!イトー!」の大コールに包まれた。

思えば伊藤の“竜馬”の名は、維新志士の坂本龍馬に由来する。「坂本龍馬のように、コート上では勇敢に。コートの外では優しくありたい」という伊藤。試合に敗れはしたものの、勇ましく戦って異国の観客の大喝采を浴び、そしてコートを去る際には、帽子をとってスタンドのファンに深々と頭を下げる。

その姿は正に、伊藤の目指す“龍馬像”そのものであった。

自らの道を極める、求道者としての添田

添田豪

伊藤が、ドラゴンショットに代表される大きな武器で革新を目指す志士ならば、添田豪は、自らが進む道をとことん突き詰め、自分の武器に日々研鑽をかける求道者といったところだろうか。今年でプロ10年目を迎える27歳。そして2012年5月28日時点で、ランキングは自己最高の58位に到達。そこに至るまでの足跡は、多少の上下はありながらも、ひとつひとつ段階を追って目標を達成し、常に右肩上がりで前進し続ける練磨の道だ。

初めて経験したグランドスラムは、ワイルドカード(主催者推薦枠)を得て出場した2007年の全豪オープンである。2度目の四大大会は、2010年のウィンブルドン。予選3回戦で敗れながらも、本戦選手に欠場が出たため、予選敗退者の中で最もランキングが高い“ラッキールーザー”としての出場であった。2011年の全米オープンでは、予選で白星3つをしっかり連ねて、自力で本戦へと這い上がる。そして今回の全仏では、初めてランキングによる“本戦ダイレクトイン”を果たしてみせた。同時にこの全仏出場により、添田は全ての四大大会を経験したことになる。

後輩の姿を刺激とし、背水の陣で爆発を期す

添田豪

さらに今回の全仏で、添田はもう一段、高い階段を上がることにも成功した。台湾の盧彦勳と組んだダブルスで、グランドスラム初勝利をつかみとったのだ。物静かで孤高の男の印象もある添田だが、国別対抗戦“デビスカップ”やオリンピックへの想いは人一倍強く、ダブルスに出る理由も「自分がダブルスも上手くなれば、デビスカップで役立つから」というほどの愛国心の持ち主である。そのような彼が、初めて大舞台で手にした勝利がダブルスだったというのも、どこか象徴的である。

添田豪

四大大会出場、全日本タイトル、そしてオリンピック――10年の歳月をかけ、添田は自らに課した課題を、ことごとくクリアしてきた。だが上にいけばいく程に、未知なる世界への渇望もより一層強くなる。一段飛ばしで世界の頂点に肉薄する錦織らの姿が、より高い目的意識を彼に与えてもいるのだろう。

「この1年で体がぶっ壊れてもいいくらいの気持ちで、練習でも追い込んでいく。そうしなければ、これ以上登っていけない」

今年9月で28歳を迎える第一人者は、自ら退路を断つ背水の陣の覚悟で、大業成就を成す心積もりだ。