神奈川県の藤沢市にある荏原湘南スポーツセンターに勤めるコーチ、ロドリゴ・ヘルナンデスさん。男子テニスの添田豪(29歳)など数多くのトップ選手を輩出してきたことでも知られる名門クラブで、主にジュニアの育成を担当しているヘルナンデスさんが、The Japan Timesにて掲載されていましたので、その記事をご紹介します。
以下、記事の和訳です。
「プレーを始めると、子供たちの多くがボールを2バウンドさせるんだよ」とヘルナンデスさんは言う。「最初の一球から全力を尽くさないとだめ。練習でも試合のつもりでやらないと。練習でもギブアップしてはいけない」
初来日は1986年のとき。コロンビア生まれのコーチであり選手でもあった彼は、世界最高レベルの選手やコーチとともに仕事をした経験を手土産に、日本にやってきた。だが、当初は1年以上も滞在するつもりはなかった。
そして現在、初来日から30年近く経過し、62歳になった今も日本で将来有望な若い選手たちを、日本で最も有名なアカデミーの一つで教えている。
神奈川県藤沢市にある荏原湘南スポーツセンターで、100人余りのジュニア選手のコーチングを務めるヘルナンデスさんはこう言う。「僕は生徒たちのお手本になりたいんだ」
コロンビアで生まれたヘルナンデスさんは、両親の薦めもあり、10歳に満たない頃からテニスを始めた。「趣味でテニスをしていた母が、私にテニスを教えてくれました。試合が大好きでしたし、選手になりたいと思いました」
しかし、ヘルナンデス少年は次第に海外で学びたいと思うようになる。そして16歳の時にテキサスに移り、その1年後にはビューモントにあるラマー大学に入学する。
「人に教えることが大好きでした」とヘルナンデスさん。「大学にいた頃、コーチングについて学ぶことを本当に楽しんでいました。休みの日でも、教えていました」
大学卒業後、ヘルナンデスさんはヨーロッパ中を旅してプレーを続けたあと、ニューヨークに戻り、現地のテニスクラブに数年勤めることとなる。
男子テニスツアーを統括するATPが設立された1972年の夏、ヘルナンデスさんはハリー・ホップマンとともに働くことになる。当時のホップマンはすでに有名なコーチであり、デビスカップでは母国オーストラリアを監督としてチームを率い、伝説的な成績を残していた。
ホップマンとともに数回の夏を過ごしたヘルナンデスさんは、彼から多くのことを教わったと言う。
「彼は本当のハードワーカーでした」ホップマンとの練習は、試合と似ていたことを思い出しながら、ヘルナンデスさんは回顧した。「練習が終わるころには、疲れ果ててしまうんだ。全てのボールに向かうことを、子どもたちに学ばせる方法でした。ベストを尽くせば、精神的にも強くなります。少なくとも、その努力をするべきです」
さらにヘルナンデスさんは「集中しなければ、何事もなしえない」と、ロッド・レーバーやロイ・エマーソンら伝説的な選手を育て、厳格なコーチとしても知られたホップマン自身の言葉を付け加えた。
冬の間、ニューヨークのロングアイランドに位置するポート・ワシントン・テニス・アカデミーで働いていたヘルナンデスさんは、後に世界ナンバー1になる若き日のジョン・マッケンローと出会うこととなる。
「彼が14歳の時から、彼のことは知っているよ。彼のお母さんが彼を練習に連れてくるんだ」
「昨年の11月に東京で行われたチャリティーマッチを見に行きました。そこで彼は錦織圭に負けていましたね。もう彼も54歳ですが、それでもボールを上手に打ちます。さらに、何十年もたったのに、彼は私のことを覚えていました。昔話に花が咲きました」
ホップマンがニューヨークとフロリダでアカデミーを開校したとき、ヘルナンデスさんはボブ・ブレッドとともにフロリダに移る。1984年までハリー・ホップマン・アカデミーのコーチとして務めた間、アンドレス・ゴメスやギレルモ・ビラスなど多くのグランドスラムチャンピオンたちがアカデミーで汗を流した。
その彼が日本に来たのは1986年、フロリダのホップマン・キャンプで何人かの日本人選手を教えた経験もあった。ヘルナンデスさんはまず日本テニス協会に所属し、ジュニア選手のヨーロッパ遠征への帯同やデビスカップ代表、フェドカップ代表のコーチを務める。
「そして、1988年か1989年に妻と出会いました。その時、彼女は日本リーグの選手でした。彼女は日本デンソーに所属していました。1992年に私たちは結婚しました」
ヘルナンデスさんは、日本のトップ選手のコーチも担当することとなる。その中にはウィンブルドンでベスト8に進出した松岡修造や、単複で世界トップ10入りを果たした杉山愛もいた。
「彼らは素晴らしい選手でした。とても真面目で、ハードワークも厭いませんでした。それが成功する方法なのです」
また彼は、優れた選手を教える機会があるたび、幸せを感じるという。「杉山愛と練習したとき、彼女は全てのボールに対してとても努力していましたし、常にベストを尽くしていました。全ての選手が、彼女や松岡のようにあってほしいと願います」
彼の哲学においては、選手はコート上で100%以上の力を尽くさなくてはならない。彼は言う、決してあきらめてはならないと。これに加え、選手とコーチのお互いの信頼関係や化学反応が組み合わさったとき、勝利の方程式ができあがるという。
「僕の生徒が良いプレーをして、ポジティブな挑戦をしていれば、私も嬉しくなります。子供たちには、僕がいつも彼らの面倒を見ているように、僕のあとをついてきてほしいのです」
しかし最初のころは、日本の選手との取り組みは難しかったようだ。若い選手の多くは威圧されると感じ、なかなか打ち解けてはくれなかった。ヘルナンデスさんのトレーニング法はフィードバックを大切にしているだけに、挫折を感じることもあったという。
「重要なことだし、意図したことを伝える助けになることです」
プロコーチとしての日々の中で、ヘルナンデスさんは生徒個人に合わせた練習に集中しつつ、自らのコーチングスキルを高めていると強調する。それは選手のフィジカルやメンタル、そして長所や短所に対する理解をより深めるということにつながる。
また彼は、コーチングとはショットだけのことではなく、人としても成長させることと信じている。「完璧なショットなど誰も打てないと彼らには言います。だけど彼らは上達するのです。彼らのやる気を刺激し、ネガティブではなくポジティブなことを考えるように促します。なぜなら、ミスをすることは、学んでいるということですから」
同僚のコーチや生徒からはロッドの愛称で親しまれるヘルナンデスさんは、自らの仕事について自信をもって語る。
「自分のレッスンが悪いとは言いません。1日の最初から最後のレッスンまで。私はいつも励まし、彼らをリラックスさせようとしています。彼らには私が頑張るところを見て欲しい。だから、彼らは良いプレーができるようになります」
だからといって、将来有望な選手であっても学業をおろそかにするべきではないと彼は強調する。プロでプレーするために大学に行くチャンスをあきらめた選手への失望することもあるという。
「もし、より高度な教育を受ければ、もっと良いプレーが出来ますし、考え方が広がります。多くの人にとって、外国に渡ることは自立を促しますし、もし奨学金などで学校に行ける間、たくさんテニスができますし、他の選手から学ぶこともできます」
彼によると、日本には多くの才能あふれる選手たちがいるが、コート上でなくてはならない精神面での強さが足りない選手もいるが、言葉の壁をチャレンジとして乗り越える選手もいる。
「たくさんのことをテニスから学びました。テニスの好きな所は、コミュニケーションを学び、友達を作り、違った文化や言葉を学べることです」
1970年にコロンビアのデビスカップ代表としてもプレーしていたヘルナンデスさんは、若い頃はサーブ&ボレーヤーになりたかったと言う。それからテニスは大きく様変わりし、ベースラインからパワフルなショットの打ち合いが主流となる。また過去10年で、ラケットのテクノロジーやストリングスも変化している。
これまでに彼は、数人の選手たちのグランドスラム出場をサポートしている。その中には、元世界ランク24位の神尾米や松岡修造も含まれる。
「松岡のコーチをしていた時、彼はジャパンオープンでジョン・マッケンローと試合をする機会がありました。松岡が7-6、7-6で敗れましたが、素晴らしい試合でした。選手が勝った時は、私も満たされますが、それでもそれは彼らの成功であって、私のではありません」
結婚後は2人の子供を授かり、2人ともプロテニス選手を目指している。また彼も、テニスコーチとして働く夫人とともにシニア大会に出場している。また彼の息子たちも、しばしばアカデミーを訪れては、練習をする。
「休みはないけど、楽しんでいるよ」と笑いながら彼は言う。「できる限り長い間、コーチとして働きたい。テニスはずっと私に幸せを与えてくれているから、その恩返しがしたいんだ」
出典元:The Japan Times「Coach serves up support for Japan’s budding tennis stars」
Coach serves up support for Japan's budding tennis stars - The Japan Times
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