自ら切り開いてく社会へ

Sala Daengの駅近くを歩いていると10歳ぐらいの少女が恵んでもらうために道ばたで一生懸命楽器を弾いていた。

通常僕はこのような恵みを一切行わないようにしていた。理由は
1.
インドで小さい子にコインをあげたら、そのまま陰に潜んでいた黒幕のポケットにすぐに渡った、よく観察してみるとその黒幕のところへはいろんなところからの出張帰りの子供達が渡しに来ていた。

2.
インドネシアでは窓ふきに頼んでもいないのに窓を「拭かれて」しまったら、コインを渡さないと車を蹴っ飛ばされる。ちなみにタイではそこまでの凶暴浮浪者の被害にあってはない。

3.
マイアミに住む友人は通勤途中で通る交差点で片足のない浮浪者に毎日25セントをあげていた。ある夜、クラブに行きどこかで見たことある知り合いが元気に踊っていた。誰だったけなととりあえず軽い会釈をして、なんなしに踊っているとそれは毎朝25セントをあげていた浮浪者であった。気づいた時には既にフェードアウトして、その場からいなくなっていた。しかもないはずの片足がその時はちゃんと生えていた。不思議である。

4.
95年の全日本優勝で獲得したトヨタRav4をそのまま阪神神戸大震災へ、物資提供というかたちで寄付をしようと思っていたら、いつの間にか義援金というのものに換金された。換金された義援金はどのような経路によって協会から震災に渡ったかの説明はなにも受けていない。しかも日本は義援金でもよほどのことでない限り、寄付税制により課税の対象となる。

などの理由で透明性のないものには絶対に恵まない、寄付しないと決めたのである。

学校の制服を着ながら楽器を弾いていた少女をみるとなぜかコロンビア人の友人を思い出した。ボールボーイ上がりの彼は自分の財布に数ドルしか入っていないのにもかかわらずその残り少ないお金をストリートチルドレンに渡していた。友人に「なぜお金ないのにあげるの」と聞くと「少なくともテニスができ彼ら達よりはまともな生活をできるようになったから」という。宗教からくる考えの違いもあるが18歳の僕には今ひとつ理解できなかった。

しかし今回改めて
自ら人生を切り開いていかねば、生き抜けない社会と
既に用意をされて守られた中で生きている社会
の差を目のあたりにした気がする。
僕の生徒には是非自ら人生を切り開いていってもらいたい。

「慣れ」というのはより効率的に物事を薦めることができるが、反対に質が落ちる、脇があまくなる、など同じぐらいの危険性、マイナス面もある。
そういう意味ではその少女から改めて教わった気がする。有難うの意味を込めて僕は少女の楽器のケースに20バーツを入れた。気持ちを入れ直しこれからもすべてに全力を尽くしていきたい。


コメント

  1. 村山 隆治 さん : 2011.09.27

    いろいろと、考えさせていただきました。
    ありがとうございます!

    返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。全て必須項目となります。