前回のエントリーでモラル・インモラルに触れることがあったが、僕もそんな言える立場ではないが、出来るだけ気を張って気を付ける、気を付けたいとは日頃思っている。
あまり掘り下げはしないが以前から、僕が到底理解出来ない事がひとつある。
トイレについて、ホテルやショッピングセンターの中など一般用と身体の不自由な方用「車椅子マーク」の付いた 独立した個室が用意されている場所がある。
優先だからなのか、専用じゃないからなのか、それとも個室であるからなのかどうか、見るからに健康そうな人がわざわざ優先トイレを使う理由が到底理解できない。
しかもホテルの従業員が電話なんかしながら使っているのをみると憎しみさえ沸いてくる。
駐車場しかり、わざわざ優先マークのついている場所へ止める。その思考回路は今でもまったくもって理解できない事である。
今年のキャンプはもっともっとこういう事にも取り組む必要があるなと再認識させられる。
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コメント
要する、感性、なんでしょうね。
自分が大事なのは皆同じで、
そんなの当たり前。
で。
全体の利益を考えた時。
自分はどう振る舞うのが妥当か。
社会の一員として。
自分は知らない、関係ない、では済まされないですよね、
この地球で生きているのだから。
今、この場がどういう状況なのかとか、自分は何を求められているのかとか、
客観的に全体像を捉える能力。
感じとる力。
電車の中でメイクをする女性を見て、
それは他所でやってよと思う。
感性とか思考回路も、
チップみたいに簡単に付け替えられたら良いのだけど。
こればかりは、
自分で磨かなければなりません。
それを放棄したら、
悪臭放つ肉の塊。
薫り立つような、風薫るような、
そんな人がどんどん増えるといいな。
そんな人に出会えたら、
一日幸せですものね。
関空に行くと、エレベーターに一番近いところが障害者用の駐車スペースとしてたくさん確保されてます。
いついっても、満杯ですが、そこに障害者マークのない高級車もたくさん停まっています。
いくらいい車に乗っててもね。。。心はちっとも高級じゃないのよね。残念な景色だなぁといつも不快になります。。。
確かに。
自分に厳しく、って言いますけれども、
やはり難しい事ですよね。
他人には厳しく、自分には甘く(笑)。
なってしまいがち(笑)。
ちょっとぐらいはいいんじゃないか、自分一人ぐらいは、
はたまた皆でなあなあにすれば楽だから、お互い厳しい事は言いっこ無し、
で、ぬるま湯に浸かったりして。
どこかの宗教団体ではないですが、
小さな組織の中にいるとその小さな世界で通用する常識が当たり前になってきます。
これは日頃からよく私たちが経験する事です。
そこで、自分たちが周りから見てどう映るのか、とか、
これは明らかにアウトなんじゃないのか、とかいう感覚が麻痺していくのだけど、
それに気付かない。
気付いても抗えない、抗えないと思い込まされる。
外から見ると明らかに異様だし、
理解不能なのですが。
最近何かのテレビ番組でやっていたのですが、
間違ったことでも1500回繰り返されるとそれが正しい事になる。
つまり、1499回No を言い続けても、1500回目についにYesと言ってしまう、
1500回という数値がYesに変わる平均値なのだとか。
例えばDVなどで、彼は私を愛しているから殴るのだ、と思わされてしまうのだそう。
人間は誰しも弱い。
だからこそ、客観的に物事を見る習慣、大切ですね。
他人をジャッジするのは簡単、
でも自分に対してきちんとジャッジ出来るだろうか。
金子さんや、ここにコメント下さる皆さんのお考えなど読ませていただき、
日々勉強になります。
ありがとうございます。
駐車場の障害者用に障害者マークがついていない車こそ
警察は違法駐車として出頭命令ステッカーを貼るなど強行な処理が必要であろうと強く思う。たとえ公道で取り締まりができなくても、法の改変が必要と思う。
友人はお子さんが生まれながらの障害で、病院へ行く時が一番困ると嘆いています。
日本の現状で一番は見て見ぬふりをする人間が多いことだと思う。 もちろん注意をしたから刺したなどのニュースも多く言えない事も問題である。
昔は大人が子供にしてはいけないことはその場でしかったが今は投書・ネット・後で注意などである。そういう時代で育った子供達が今は30歳前後の父母になっている。 その子供達はどうなるんだろうか?
教育課程からの問題も大きいですよね。
ホテルマンなどについては、マネージャーへ名刺を預け、マナーについて連絡してと提案されては?
一度だけ物申しても良いのではないでしょうか?
きっと金子さんは言うことだけで爆発寸前状態でしょうね。
私も不足部分が多々あります。人として考えて行動とれるようしなくては。