名選手は”必ずし”も名監督にあらず、ではないかな。

「名選手は名監督にあらず」というのは揶揄を含めた名選手に対しての嫉妬も含めた言葉に感じます。

その名選手が名監督になれないのは、名選手だったからではなく、ただ努力や勉強、研究がたりないだけであり、そもそも「名選手だったけど、コーチとして名コーチではない」という図式はおかしい。

名コーチとなるステップを踏んでいないか、間違ったステップを踏んでしまった結果であり、たとえ名選手でなかったとしても、名コーチとしての成功は難しい。名選手だった上にそのような皮肉を言われてしまうのでしょう。

ここ最近感じるのは、「名選手は”人によっては”超名監督である」傾向を感じます。

錦織選手を世界9位に導きトップ5を狙う・チャン、ワウリンカのコーチ・ノーマン、マレーのコーチ・レンドルしかり。

トッププレーヤーじゃないと導くことの出来ない世界もある。

個人的にはクレーコート終了後のラオニッチのコーチ・ルビチッチの動向がとても気になります。


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