元気な姿を見せた竹畠君・・・(右から4番目)
以前、ここで紹介させていただいたこのある「竹畠君」が先週の金曜日の夜に他界されました。
謹んで、心から哀悼の意を表し、安らかにご永眠されますよう心よりお祈り申し上げます。
享年22歳。若すぎる別れでした。
昨日、北九州に行き、最後の別れを行ってきました。残念で悔しい気持ち半分、病気と闘い壮絶な日々を過ごしてきたことに終止符が打て、楽になったろ・・・という気持ち半分です。
病魔に侵され、死と直面しながら全力で生き抜いた竹畠君に、「強く生きるという尊さ」を学ばせていただきました。
正直、会場に着くまで、「冗談だろ!」と現実逃避をしていました。会場に到着し、「竹畠家」と書いてあるのを確認した時、徐々に現実が現実であることが確認できました。
いつでも、どんな時でも「笑顔」でいた竹畠君に対し、小生も笑顔で送ることを心に決め、最後まで涙を堪えました。
本当に安らかな顔で、眠っていました。
つい最近、一緒にロンドン行くぞ!と言っていた竹畠君・・・
それでも、我々の心の中で君は生きているから、「一緒に行こう!」。そんな事を彼に伝えながら、彼に「JAPAN」のユニフォームを着せて帰ってきました。
君の事は絶対に忘れない。「生きるということはどのようなことなのか?」「人の生きざまとは?」を学ばせてもらった君を心から感謝します。
本当にありがとう。
またな・・・
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コメント
竹畠さんの訃報に接し 言葉もありません。 竹畠さんとラウンジでお話させていただいた日のことを 思い出します。 打倒 国枝をゆっくりとしかし熱く話してくれましたね。決して貴方の事は 忘れません。いつかまたね。
昨日、竹畠さんが他界されたことを、息子から聞きました。
病気と闘いながらも、車椅子テニス、そして大学(勉強)と頑張っていたことを知り、本当に残念でなりません。
ご冥福を心からお祈りします。
そして、きっと子供達も・・・今を精一杯生きていくことでしょう。
竹畠さんに恥じないように。
竹畠様。
言葉が見つかりません。
遅まきながら、竹畠明聡さんが亡くなられたことを知りました。口に出す言葉もありません。
新聞のコラム「患者の目」で初めて知り、記事を切り取って手帳に入れ、いつも見て、頑張って早くよくなって、と祈ると同時に自分の励みにしていました。
22歳!まだまだやりたいことがいっぱい山のようにあったんだと思います。本当に残念です。
こころからお悔やみ申し上げます。