2017年9月12日 東京有明テニスの森公園で行われているジャパンウーマンズオープン2日目。
元世界ランキング4位、46歳の伊達公子(エステティックTBC)の現役最後のシングルス1回戦が行われた。

対戦相手は世界ランキング67位、伊達の約半分の年、24歳のアレクサンドラ・クルニッチ(セルビア)。
伊達は0-6,0-6で敗れた。

引退セレモニーの言葉

――「みなさん、今日は朝から雨が降っていて、いつから試合が始まるか不安の中、駆けつけていただきありがとうございます。とうとう終わってしまいました」。

満員の観客の中、目を潤わせながら言った最初で最後でもある一言。
“とうとう終わってしまった”自分自身に言ったようにも聞こえた。

「やっぱりさみしい気持ちの方が強いかな。試合は100%にほど遠いプレーになることは自分の中で分かっていました。でも本当の勝負の場に立つことができるチャンスを与えてもらえ、対戦相手のクルニッチも真剣勝負でファイトしてくれたことはテニスプレーヤーとして嬉しく感じました。」

とにかく1ポイントでも多く、自分らしいプレーができるようにと最後までコートに立ち続けた彼女は、「勝負にこだわり生きてきた」と、1ポイントの重み、1ゲームの重み、テニスの難しさというのを痛感してきた。
同時に、これが勝負でありプロテニスプレーヤーのタフさ、厳しさに繋がるということを強く感じたと言う。

最後の最後まで、膝と肩の怪我を背負いながら挑んだ引退試合は、0-6,0-6のストレートで敗退。わずか13ポイントしか取れなかった。
自分は輝かしいキャリアを築いてきた伊達公子を知ってるからこそ、“これで良かったのかな…?”と言う気持ちが一瞬過る。

しかし、時折懐かしそうな、思い出を振り返るような眼差しで話す彼女は、最後はすがすがしい笑顔でこう言った。

――「長い時間プレーできた自分を幸せに思う。本当に嬉しい。すごく充実したチャレンジの連続だった。」

「90年代のファーストキャリアでは、プレッシャーを乗り越えて結果を残すタフさが学べた。12年のブランクを経て2度のキャリアでは、純粋にテニスを楽しむことで、もっとテニスが好きになった。どれだけ自分が情熱を持っているのかも再確認できた」と。

「最初から最後まで応援してくれたファン、スポンサーの皆さんに本当に感謝したい。本当に多くの方に支えられて、ここまでこれました。」

彼女は多くの後輩たちに刺激を与え、まぎれもなくテニス界の歴史を作った選手。
そんな最後の姿に、気づくと気持ちも“良かった”に変わっていた。

伊達公子46歳。いま彼女の“第3の人生”が始まろうとしている。

伊達公子のラストラン

ジャパンウィメンズオープン。46歳、伊達公子、現役最後の試合

親愛なる伊達公子選手

(by 塚越亘)

0-6,0-5、伊達さんのサーブで30-40、マッチポイントを握られていても、
――ひょっとしたら、ここから挽回があるのでは…。

“あるはずだ”と何度も奇跡的な挽回劇に立ち会った私は思っていました。
そうであってくれと願っていたのかもしれません。

伊達選手は覚えているかわからないけど、最初にあったのは、テニスジャーナルで私が企画したジュニア・テニス・キヤンプ。琵琶湖のほとり、確か彦根市だったと思う。
まだ真っ黒で元気の良い小学生だった。
この時、同じキャンプに参加していた一才上の木戸脇真也ちゃん(1969年5月17日)に、いつもニコニコニコニコ笑顔でついて回っていたね。

ツアーで活躍しだしても、全日本に15歳6ヶ月(1988)で優勝した血統の良い2歳年下の沢松奈緒子ちゃんに隠れていた。

それを破ったのが1990年全豪オープン。4回戦まで進出し、16強となった時、一躍時の人となりメディアからの脚光を浴びるようになりました。

日本語でも本心が伝わらないのに、英語ならもっと伝わらない。英会話ができるのに、“真意を伝えるためには日本語で”、とインタビューは通していましたね…。

純粋な心のまま、世界と一人で闘っていた。

いっぱいいっぱいでテニスが嫌いになってしまった。

12年のブランクの後、びっくりしたのは、一所懸命に“英語”で自分の気持ちを伝えようとしていたこと。

「日本食でないと力がでない」と電気釜がツアーで必需品だったのに、率先して現地の食事をし、ツアーの仲間と行動している姿を見たこと。

ずいぶんと変わった!
ツアーを楽しんでいる、そんな姿をみるのは嬉しかった。

でも、テニスの対する姿勢は前よりも厳しくなった。
衰えた肉体面を精神力と妥協なしの努力で克服していた。

その姿は自分だけでなく、多くの後輩の範となったと思います。

過去を背負わない。

現在、今、一瞬、一瞬を大事に生きている伊達選手、
最後の試合も伊達選手らしかった。

お疲れさまでした。
多くの感動をありがとう!

テニスジャーナリスト 塚越亘

後輩たちへ贈った言葉

伊達「ツアーの中にいると苦しいときはいろいろあると思うが、時間がたつとテニスと出会えたことを幸せに思えるときが必ず来る。(現役生活は)限られた時間なので、思い残すことなくやり切って、良いことも、ある意味悪いこともたくさん経験して、素晴らしい女性になれるようテニスから学んでほしい」

対戦相手クルニッチからの言葉


(クルニッチ 涙を浮かべながら)

この試合がどのくらい大事な試合だったか、皆さんが分かっていると思う。でもこれは私にとっても大事な試合だった。とても感傷的。
私としては、キミコの最後の対戦相手になりたくなかった。でも非常に良い経験ができた。キミコはとても興味深いキャリアを持った人。そのキヤリアの一部に関わることができたことを光栄に思う。
キミコにはこの先、とても明るい未来が待っていると思うと、とても幸せな気持ちだと思う。

今日は勝ってしまってごめんなさい。

敬意をこめて クルニッチ

記事:塚越亘 塚越景子 写真:鯉沼宣之

伊達公子 引退発表会見を読む
≪伊達公子プロフィール≫ 1970年9月28日生まれ
ファーストキャリア(1989年~1996年)
94年全豪、95年全仏、96年ウィンブルドンで4強。4大大会の日本女子歴代最高成績を残す。
95年11月13日世界ランク4位、日本人最高位に。
96年11月WTAチャンピオンシップ準々決勝ヒンギス戦を最後に26歳で引退。セカンドキャリア(2008年~2017年)
約12年後、08年、38歳で全日本優勝し「チャレンジ」を始める。
09年全豪で96年全米以来のグランドスラム本戦に復帰。
09年秋38歳11ヶ月30日でWTAツアー韓国オープン優勝。 (キング夫人の39歳7ケ月23日に次ぎ2位)
2013年42歳で記録した全豪とウィンブルドン3回戦進出は、オープン化以降女子最年長記録。
伊達公子WTAデーター
ツアー優勝回数:8回
ツアー成績:450勝268敗
ツアー獲得賞金額:$3,988,378
伊達公子ITFデーター
もともとは左利きだったが、皆右手にラケットを握っていたので右手に持って始めた。
2004年ロンドンマラソン(ラオスに学校をという基金のために走る)3時間30分でゴール
伊達公子公式ブログ 決断

引退会見ノーカット