「すごく悔しい。また強くなってパリに戻って来たい。」
2016年3月、全仏オープンジュニア・ワイルドカード世界大会 日本選考会で優勝した田島尚輝は、5月にパリに飛んだ。しかし、モンルージュテニスクラブで行われた予選リーグで敗退し、憧れの’ローランギャロス’へ足を踏み入れることはできなかった。
田島は10歳からヨーロッパ遠征を積み重ねており、最も好きなサーフェスはレッドクレーだと言う。14歳の時には、ヤングスターフランス大会で決勝まで進み、ローランギャロスで一度は戦っている。

昨年、5月のインドで開催されたITFグレードB1大会で優勝し、ランキングを急上昇させた田島は、その後、ウィンブルドン、USオープンジュニアの予選を戦う位置までたどり着いた。

しかし予選は通過できず、本戦では戦えない状況で16歳シーズンを終えた。その間、ジュニアテビスカップ世界大会を9月に経験し、年末のグレードA大会(G-A)で伝統あるオレンジボウルダブルス準優勝などさらにポイントを積み重ね、2017年初のジュニア世界ランキングは19位と初めてトップ20位に入った。

そして迎えたアジアでのグランドスラム、全豪オープンジュニアでは第8シードとして初めて本戦で戦った。ファーストセットは6 0と圧倒、セカンドセットも序盤リードされるも逆転で5 3、サービングフォーザマッチを迎えた。しかしオーストラリアの暑さと緊張もあったのか、足に痙攣をきたしブレイクバックを許しこのセットを5 7で落とすと、流れを引き戻せず試合終了となる。

この全豪オープンを含め、インドの優勝以降、田島はなかなかシングルスで結果を出せずにもがくことになる。実力以上のランキングがついた状態とも言えた。インドB1の大きなポイント失効をディフェンドしないと2017年の全仏、ウィンブルドンに届かないことは分かっていたため、焦りもあったようだ。

急遽、エントリーした3月のアジアの2大会でもタイでは初戦敗退。マレーシアではQFに進みポイント上積みのチャンスを掴むものの腰部痛でリタイア。この時期はかなり精神的にも辛かったようだ。
この後、田島は大きな決断をする。錦織圭をジュニア時代に指導している米沢徹の勧めもあり、レッドクレーでの長期遠征である。

錦織圭は15歳の時にヨーロッパ6週間、16歳の時に南米に6週間遠征を行い、のちにこの遠征がとてもいい強化に繋がったと述懐している。田島の場合は、南仏の2大会を皮切りに、モロッコ、イタリア、ベルギーを経由して、全仏オープンジュニア。そしてドイツの後にウィンブルドンへ向かう、のべ13週間の長期遠征を組んだ。

もちろん、目標の一つは上位進出してグランドスラムジュニアへリストアップされることである。最初の遠征の地はニース近郊。2週目は時を同じくして開催されていたモンテカルロマスターズのモナコからも近い都市でのG1だった。
レッドクレーでの戦いは得意とは言え、昨年のパリ以来。南仏ではコートにフィットできずに2RとQF敗退で大会を終えたが、帯同のハンガリーのコーチによれば少しずつ慣れてきている状態との評価であった。

次の戦いは錦織もジュニア時代にチャレンジした北アフリカのモロッコ。ここで田島はようやく結果を出し始める。一週目のG1ではフランス選手と組んでダブルス優勝。そして翌週のG3ではインド以来のシングルスタイトルを獲得した。その後、イタリアへ移動してG1大会と伝統のイタリアオープン(G-A)へ参戦した。シングルスはそれぞれ3R、2Rながら内容ある戦いができ、G-Aではダブルスでベスト4となり少しずつポイントを上積みすることができた。

全仏オープンはモロッコまで、ウィンブルドンはイタリアまでのランキングでリストアップされるが、田島は本戦には届かなかったものの予選リストに名前が載ることとなった。
そして全仏前週のベルギーG1。田島はもちろん狙っていた。SE(Special Exempt)枠のことである。プロトーナメントでもそうだが、前週に勝ち残ると翌週の予選に出場できないため、ランキング順に上位二人が翌週大会の本戦推薦となるのである。そして田島はベスト4に入る活躍を見せ、全仏ジュニアの本戦を手繰り寄せたのだ。
昨年悔しい思いをしてから一年。ようやくたどり着いたローランギャロス。

1回戦は地元フランス選手であった。『とにかく自分らしいテニスをしよう』と決めていたという田島は好調なサーブゲームで試合を有利に進め、6 2,6 2と見事グランドスラムでの初勝利となった。
2回戦は、ATPランキング500位代、マドリードマスターズ予選にも出場、勝利しているスペインのニコラ・クーン選手。第11シード。同じ2000年生まれで先を走るトップ選手との初対戦となった。『どれくらい戦えるか試合前は少し自信がなかった』というが、ファーストセットは相手のアンフォーストエラーにも助けられ、またスライスやドロップショット、サーブ&ボレーなど多彩な引き出しを見せ、ダイブレークの末に先取した。しかしセカンドセットでは少しまともに勝負してしまい、2 6で押し返された。

迎えたファイナルセットでは、再びペースを掴み互角の試合展開になるが、2 2からデュースを繰り返した後に先にブレイクを許してしまう。その後追い付くチャンスもあるも4 5相手サーブゲーム。40 15から一本のマッチポイントをセーブするものの、あと一歩及ばず悔しい敗戦となった。クーン選手はその後、圧勝でベスト4に進み、準決勝でも第トップシード選手をファイナルで下して決勝進出、準優勝で全仏を終えた。ちなみにダブルスは優勝している。

試合を終えた田島は、悔しさを残しながらも、内容よく戦えたことは自信になるし、また次に繋がるとコメントしている。全仏を終えたあとは、休む間もなく次なる戦いの地、ドイツへ向かった。そして、遠征の最終地であるイギリスへ。後半戦の集大成である次のグランドスラム、ウィンブルドンが待っている。
今回、3ヶ月という長期遠征を決断したが、それは成功する保証もない手探りのプロセスであった。しかしチャレンジしなければ掴めなかった経験がきっとそこにはあったはず。田島にとっては今後に繋がるターニングポイントになるに違いない。