今から22年前の2000年5月31日に”プロチームか代表チームのアスレティックトレーナー”になる為に渡米しました。
まだ当日の様子を覚えています。NICの皆と箱崎で集合し、成田に移動、サンノゼ空港まで飛び、バスでリノに行きました。
当時は興奮やら不安で自分が自分ではない感覚(気持ちの波が大きく揺れていた)であり、友達と飛行機の中で話をし過ぎて、周りの客に注意された事も…
ビバリーヒルズ青春白書に影響され、服をBEAMSからGAPに変え、登場人物のDavidに憧れ坊主にもしました。
成田ではわざわざ高校の友達が皆からの寄せ書きを持参し、見送りに来てくれましたが、本当に嬉しかったです。彼らとこれから一生会えないかもしれない!?なんて気持ちにもなりましたが…(当時はまだ国際電話の時代でしたので)
そんなどこかふわふわした感じでスタートしたアメリカ生活でしたが、2年間過ごしたリノでは友人達のお陰で無事短大を卒業し、本格的にアスレティックトレーナーの勉強をする為にラスベガスへ。
ラスベガスでは最初の年にアスレティックトレーナープログラムに入れず、浪人も経験しましたが、そこでは先輩が手を差し伸べてくれて地元の高校でインターンをしながら翌年のプログラム試験に合格しました。
アスレティックトレーナープログラムに入学後、目まぐるしい生活がスタートしましたが、憧れのアメリカで学生アスレティックトレーナーとして過ごし本当に楽しかったです。
在学中に先輩のサポートもありMLBでインターンアスレティックトレーナーとして経験を積む事が出来、卒業後フルタイムでマイナーリーグで仕事をする事も出来ました。
アメリカ生活9年目に差し掛かる時に、このままアメリカに残るか日本に帰国するか考えましたが、このままアメリカで生涯過ごす事がイメージ出来ず帰国しました。
帰国後、ジュニアテニス選手達とヨーロッパやアメリカを回ったり、ビーチサッカーという競技との出会いもありましたが、お世話になっている方からベイスターズに誘って頂き、その後1.2軍のトレーニングを指導させて頂きました。
良く野球とベースボールは違うよ!と話がありますが、確かに”何か”が違いました。そこはもしかしたらお互いの歴史に答えがあるのかもしれませんが、その”何か”の違いを肌で感じられたのは私の財産です。
その後独立し、現在はプロアスリート、ジュニアアスリート、そして一般スポーツ愛好家の皆さんへのトレーニング指導をさせて頂いて今日に至ります。
22年前に決意した思いは達成する事は出来ましたが、これは私の家族、友人、そして今まで関わって下さっている方々の力添え無くして有り得なかったと思います。この22年間を振り返ると綺麗事ばかりではなく、私の至らなさでご迷惑をお掛けした事も多々ありました。
まだまだ世の中は混沌としていますが、スポーツやエクササイズが持っている力は計り知れないものがあると思います。私に出来る事でこれからも世の中が少しでも明るく、平和になれるように精進していきたいと思います。
今日は特別な日でしたので、長々と文章書かせて頂きました。長文を読んで頂きありがとうございました!