最近、大阪の事件後、毎日のように体罰報道が盛んになって来ています。教育者の自分が意見を述べることは、とてもデリケートな話題なので、ここ数日躊躇しましたが、少しでも想いが伝われば、という思いでブログをアップさせていただきました。
「体罰」かどうかは、やっている本人しかわからないものかもしれない。そこに「愛」があってやっているのか、そうではないのか。そこに今後ためになる「意味」があるのか、ないのか。
やられた本人は、やられた「理由」をちゃんと分かっているか、理解しているか。
その二人の人間の間にコミュニケーションがちゃんとあるか。コミュニケーションができているということは、説明ができていること。想いが伝わっていること。すぐに見つからないとしても、互いに解決法を探そうと、同じ方向を向いていること。
自分も子供が二人いる身ですから、彼らに何か起きれば、牙をむけてしまうかもしれませんが、最後は学校や先生の問題だけではなく、親としてどのような価値観を子供に埋め込んできたかも、大きく反映してくるものだと信じています。
ですから、メディアには、尊い命を失った少年のような人間を今後増やさないためにも、どんな問題でも乗りきる努力をし続けられる、色々な角度で問題と向き合いながら解決法を探しだそうとする、強い心と想像力を育てる教育法というものを流してほしい。
確かに体罰は良いものではありません。しかし、社会の厳しさは、もっと、もっと比較にならないくらい厳しいものです。正しければ通る、という世の中ではありません。
矛盾ばかりが目立ってくる世の中です。やるのは自分ですし、やらないのも自分です。自分で舵取りし、誰のせいにもできない人生を、精一杯に生きてほしい。それには「夢」をみること。「目標」を持つことが、大切だと思っています。
現時点で夢や目標がないのであれば、それを探し続けることを「目標」にすればいいのです。積み重ねた努力は、たとえ夢を手に入れることが結果的にできなかったとしても、新たな可能性と強さを与えてくれます。
自分は教育者として、生徒達が、人生の素晴らしさ、苦難を乗り越えた時の充実感を味わうことができるよう、サポートをし続けたい。
生きている自分達は、反省をしながら、「やりがいのある」社会を作って行く事に全力を注ぐべきであり、親も、教育者も、友達も、その場の問題から逃げるのではなく、どう乗り越えるかという答えを出すためにエネルギーを費やしたい。
僕の嫁さん映子は、いつも子供達や僕にも言います。「愛」は全てを解決する。と。愛されるだけではなく、愛する想いがどれだけ自分達の生きがいになっているか。本当に好きであれば、必ず手に入れることができる。と言い切ります。
その意味が最近すごくわかってきた。
みんなで頑張って行きましょう!!