アテネでの競技終了後、コート上で雑誌の取材を受ける。(写真:酒井朋子さん提供)
栄光をつかむまでに、アテネから4年の歳月をかけ、「北京」という舞台に我々のすべてを懸けた。「北京」以外の大会は、何が起こっても、どんなことがあっても、「通過点」でしかなかった。多くの大会において優勝しようが、年間グランドスラムを達成しても感激に浸ることなど一切なかった。
今回の「ゴールドメダル」を獲って、直後は確かに4年の思いに感極まってしまった瞬間があった。選手と共に歩んできた思いが、ただ、ただ、頭を廻っていた。この経験は初めてのことであり、泣くわけが無いと思っていたものの、「歴史」という礎には到底歯の立たない自分がそこにいた。
しかしその後、選手村で騒いだわけでもなく、過去を振り返りながら酒を飲んだでもなく、次の日は流石にゆっくりしたが、優勝して2日目の朝食の時には、国枝選手と「もう充分に喜んだな・・・先の事を考えるか・・・」なんて話した。
さて、今回は4年前に遡り、どのような状況からスタートしたのか振り返ってみます。そうすることで、これからの4カ年計画をどのように細部まで行きとどくように立てていくのか?良いヒントになるような気がします。
アテネが終わり、羽田空港で「しばらく休む」と直接話を聞いて、「覚悟」を決めるなと感じていました。彼の選択は、マイナスの方向に「覚悟を決める」と思っていました。それは、年間200万~300万円する遠征費用を、両親に頼ることは限界の時期に来ており、すでに本人からも身を引く旨の考えは聞いていました。伴に遠征を始めてから2年。これからという時に・・・と胸の内は残念な思いで一杯でした。しかし、いつ何が起こっても、悔いのないように全力を尽くしてきた2年でしたので、そういった意味では納得はしていましたが、如何せん年齢が若かっただけに、これからのことを考えると「これからだぜ!」と咽喉元まで、言いかけていた自分がいました。「これも人生かな・・・」なんて、自分に納得いくような解釈をしていた。
それから4日目の朝を迎え、普段どおりにTTCへ向かい、ちょうどお昼を回るころに電話が入った。「国枝さんからです」とフロントの女性から連絡。直接携帯に来ないということも気になっており、さぞかし言いにくい内容を話すのだなと感じていた。
受話器を取るといきなり、
「コーチ久し振り!」・・・「あのさ、俺テニスしたい!」・・・「やっぱ、テニスやってる時が一番楽しいや!」と一方的な話が始まった。
こちらは、マイナスに「覚悟」を決めていたので、何のことかさっぱり理解するのに時間がかかった。
「おぉ、そうか。で、テニスはいつやるんだ?」・・・
「明日、コーチ空いてる?」
と言われても、レッスンがしっかりと入っており、この勢いでいかないと不味いと思ったため、「昼からだったら1時間大丈夫だよ」とすぐさま反応してしまい、その後の調整に苦労したことは言うまでもありません。
「じゃぁ、明日お願いします・・・」
と、電話の勢いも去ることながら、私の不安であった今後の問題も、ハリケーンのようにすべてを良い方向にぶち壊して過ぎ去っていった1分程度の会話が今回の「夢」の始まり。
この1分程度の会話から、4年後には「夢」が現実となることを強く願い、ひたすらこの「夢」が叶うことを強く信じて走りだした。
コメント
久々の更新、お待ちしてました!!
しかもドキュメンタリータッチ。続き、もちろんありますよね?雑誌「Number」のノンフィクション大賞を狙えるくらいの内容を期待してます。(笑)
とても素敵なエピソードですね。
じっくり読み入ってしまいました。
お二人の夢への強い気持ちが、あのような素晴らしい結果と感動を産んだのですね。