本当に難しい。表情や表現や言葉の使い方で、同じ日本語なのに・・・と思う時がよくある。
コミュニケーションとは?
もともとコミュニケーションということばはラテン語のコムニスcommunisから派生したものらしい。意味としては、「共通の」とか「共有の」といったものであり、この心的共通性・共有性という基底的属性が、人々のコミュニケーションの原点である。ということが述べられている。
コミュニケーションの定義とは、自分の中では「ないもの」と感じている。それは、特に人と人とのコミュニケーションは、それぞれ共通・共有されたツール(日本語)を使用しても、その人が備えている、価値観、生き方、考え方の違いからくる、単語の「深さ」に大きな違いがあると思う。
この人とはコミュニケーションが取れる!この人とは苦手・・・それぞれ得手不得手があると思う。人であれば誰もが持っているものだろう。取れる人と取れない人とは何が違うのか?ということの疑問が湧く。
結局、好きか嫌いか。ウマが合うか合わないか。という問題に尽きてしまうのではないか。自分がその人に心を開いていることが、いわゆるコミュニケーションが取れているのか取れていないのかという問題なのではないかと思う。
その違いを埋めるものとしてのツールは、やはり、「表情」であったり「言い方」であったり、自分の身の丈を超えない表現が、心をつなげることに相当すると思う。また、上級なレベルになると、男女の違いにも注意するべきこともあるだろう。
そのような見えない思いが感じられなければ、伝わるものも伝わらなかったり、伝わっているが大きく意味が履き違えられてしまうのだろう。
いずれにしても、見えない「心(愛情)」を持って、「伝える」、「聞く」という行為が必要だろうと思う。
いつか、誰に言われたのか忘れてしまいましたが、なぜ、口は1つで、耳は2つあるのか?という意味を教えていただいた。
それは、「会話・コミュニケーション」というものは、自分が1つ話を伝えたら、相手の話を2つ聞くために口は1つ、耳は2つあるのです・・・と伝えてくださった。
これって大切な行為ですよね。聞き上手はコミュニケーション上手とも言われていますね。
久しぶりに昔のことを思い出しました。「見えない部分」をしっかり伝えられるような、「人」としての努力を惜しまずにしていきたいと思う。