錦織圭(テニス)ジャパンオープン 優勝

有明コロシアスおよび有明テニスの森で開催中の楽天ジャパン・オープンは、7日にシングルス決勝が行われ、錦織圭ミロス・ラオニックを7-6、3-6、6-0で破り優勝を果たした。日本人の優勝は、1973年にジャパン・オープンがATPツアー大会になって以来、初の快挙。錦織自身にとっては、ツアー優勝は2008年2月のデルレイビーチ選手権以来の2勝目となる。
 
優勝者として名前が読み上げられると、両手でガッツポーズを作り、身体の中の喜びや感激を全て吐き出すかのように、大きな叫び声を上げた。

錦織圭(テニス)ジャパンオープン 優勝

ラオニックのドライブボレーがネットにかかり、4年半ぶりに手にしたツアータイトル。その瞬間はラケットを落とし、放心したように頭を抱えることしかできなった。だが、スタジアムを割らんばかりの大歓声と拍手を全身に受けたとき、錦織は自分が手にした栄冠と、成し遂げた快挙の大きさを知る。「グランドスラムと同じくらい大切な大会」、常々そう口にしていたジャパン・オープンで、4度目の挑戦にして手にしたタイトル。

「うれしいっす!!」

上ずった声で叫ぶように放ったこのひと言以上の言葉など、どこにも必要ないだろう。
 
「リターンが鍵になる」

ラオニックとの決戦を翌日に控えた準決勝後、錦織はそう言っていた。準決勝でアンディ・マリーを下したラオニッチの武器は、時速230キロに迫る高速サーブ。しかも198センチの長身から打ち下ろすスピンサーブは、錦織の背を優に超える程に高く弾む。「世界最高のリターナー」と呼ばれるマリーですら、ラオニックからは1つしかブレークを奪えなかったのだ。

その驚異のサーブの威力を、ラオニックは1本目から見せつけた。センターに叩きこむ、時速228キロのエース――1万人の観客から「おーっ」と、絶望の色がまじる驚がくの嘆息が漏れた。だが、3回戦でもベルディハの高速サーブを返してきた錦織は、怯まない。40-0とリードされながらもバックで立て続けにウィナーを奪い、相手にプレッシャーをかけていった。3度のデュースの末に錦織がブレーク。コースさえ読めればサーブは返せること、そしてストローク戦では自分が支配できること……このゲームで錦織は、2つのことを確信したはずだ。

同時にこの日の錦織は、サーブが好調であった。スピードでは相手に遠く及ばない。だが確率とコース、そして球種を組み合わせることでラオニックに的を絞らせない。「圭のサーブが良かったので、自分のサーブにプレッシャーがかかった」、サーブ自慢が精神的な圧力を受けるほどに、錦織のサービスゲームは盤石だった。

第1セットは、それらバランスの良いプレーの上に、精神の強さが乗って奪ったセットである。タイブレークで相手にリードされながらも、追い上げ逆に追い詰める。勝負を分ける僅か数ポイントをもぎ取ったのが、錦織であった。

ならば第3セットは、錦織が圧倒的な爆発力を見せつけ、相手を力でねじ伏せて掴んでセットである。第2ゲームでは、バックのダウンザラインで2本のウィナーを奪い、フォアの強打で2本のエラーを誘った。そして第4ゲームでは、相手のダブルフォルトを機に畳みかける。最後はサーブ&ボレーに出てきた相手の横を、バックの鮮やかなリターンがかすめていく。勝利を確信しただろうか、錦織はこの瞬間、この日最大のガッツポーズを繰り出した。

今回の優勝があまりに鮮烈過ぎて忘れかちな事実だが、錦織はジャパン・オープンでは過去2年連続で初戦で敗退。勝ちたい気持ちが空回りし、「この大会には縁がないのだろうか」とまで思い悩んだ。決勝進出を決めた前日は興奮が身体を駆け巡り、ベッドに入っても1時間は眠れなかったという。

テニス選手の日常は非情なもので、錦織は来週の火曜日には上海大会で次なる試合に挑まなくてはならない。だが「今はこの瞬間を楽しみたい」と言う優勝者は、大観衆の前でこう声をはずませた。「今夜はパーティです!」。人生最高のパーティは、母国日本で待っていた。

※写真は、楽天ジャパン・オープン決勝戦で、ミロス・ラオニックを破り、ツアー2勝目を挙げた錦織圭
Photo by Hiroshi Sato
 

楽天ジャパン・オープン

シングルス
決勝

錦織圭[8] 7-6(5) 3-6 6-0 ミロス・ラオニック[6]

[ ]内の数字はシード順位