今年で93回目を迎える全日本テニス選手権は、過去にも幾人ものプレーヤーが、現役生活最後の舞台に定めてきた大会である。
2009年には世界41位まで達した森上亜希子が、未戴冠だったタイトルを目指し最後のトーナメントに挑んだ。
2015年には、フェドカップ日本代表等でも活躍した瀬間友里加が、やはりこの大会を最後にキャリアに幕を引いている。
今年も、一人の選手が全日本選手権を最後にラケットを置いた。2014年の同大会優勝者であり、世界ランキング109位に達した、江口実沙(橋本総業)である。
26歳での早い幕引きを決意した江口は、7年半のプロ生活で最も忘れがたい一戦に、「ケガをした試合」をあげた。
約2年前……中国開催のWTAチャレンジャーに出ていた江口は、決勝まで勝ち上がり、しかも優勝まであと2ポイントにまで迫っていた。だが、キャリア最高の瞬間を目前にしたこの時、彼女は自分の膝の内部で、「ブチ」と何かが切れる鈍い音を聞く。前十字靭帯断裂――。その後、手術とリハビリを経て復帰を果たすも、再び元居た場所に戻ることはなかった。
最後の戦いと定めた全日本選手権では、3回戦で昨年準優勝者の秋田史帆(橋本総業)と対戦する。スコアは0-6,1-6。相手のマッチポイントでバックのストロークを放った瞬間、手のひらに伝わる振動から、試合が……つまりは現役生活が終わったことを知る。
「あー、終わったな……」
その時を江口は、淡々と受け止めたという。ただ、コートを去る背に「お疲れ様!」の声が掛かった時、そして土曜日の引退セレモニーで再びセンターコートに戻った時には、こみ上げる種々の感情が胸をふさいだ。
そのセレモニーでの江口は、長身をシックなスーツに包み、さもキャリアウーマンといった出で立ちだった。実は既にこの年末から、一般企業に、社員として務めることが決まっている。
今大会では「最後は楽しく過ごしたいから」と、最も信頼を置くコーチやトレーナーたちを帯同し、共同生活を送ってきた。
「最高に楽しい1週間でした!」
新たな旅路に目を向けて、笑顔でコートを後にした。
もう一人……明確に引退宣言はしていないが、この大会を「キャリアの一つの区切り」に定め、「その後は白紙」の状態で連日コートを駆けた選手が居る。
【澤柳璃子】(リンクス・エステート)。1994年生まれの彼女は、先月末に24歳を迎えたばかりである。
ジュニア時代から、尾崎里紗(江崎グリコ)や穂積絵莉(橋本総業)、二宮真琴(橋本総業)に加藤未唯(ザイマックス)らと共にナショナルの強化メンバーに選ばれていた澤柳は、将来を嘱望された言わばエリート。だが、同期たちがグランドスラムで活躍する一方で、なかなか大舞台に手が届かなかった。
モチベーションも徐々に減退するのを感じた彼女は、今年3月の時点で一度は引退を決意する。その後、高校のテニス部で指導を始めた澤柳は、部員たちへの刺激になればと、今回の全日本選手権に出場した。
単複、混合ダブルスの3種目に出場した澤柳は、日程が進むにつれ足や肩に巻かれるテーピングが増えていくも、笑顔は絶えなかった。シングルス決勝戦では、第1シードの清水綾乃(Club MASA)に第1セットは1ゲームも取れずに奪われるが、3本のマッチポイントに瀕しても試合を諦めない。最終的には敗れるも、第2セットのゲームカウント1-5から追い上げ、7本のマッチポイントを凌ぎ、タイブレークまで粘りに粘った。
表彰式のスピーチでは、優勝者の強さを素直に認め、その上で「やっぱり悔しい」と笑顔を涙で濡らした。
今後の去就に関しては、大会後に身体を休めながら、じっくり考えるという。
それがいかなる決断になろうとも、ここが彼女の人生の、一つの転換期になることは間違いない。
by 内田暁(テニスライター)
男子決勝女子決勝 NHKBS1で放送
女子決勝:11/6(火) 9:00 男子決勝:11/7(水) 9:00
NHKBS1で放送
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記事:塚越亘/塚越景子 写真:鯉沼宣之/TennisJapan