秋になるとテニスファンがそわそわしてくる。日本にツアーがやってくるからだ。東京開催の「東レPPO」。続く大阪開催の「HP JAPAN WOMEN’S OPEN」(以下、HPオープン)。2つのWTAツアーは世界の女子テニスを生で観戦できるたまらない大会となっているのだ。
1年を通して世界を回る男女のテニストーナメントは「ツアー」と呼ばれている。これはテニスイベントの世界的「巡業」で、選手たちはその巡業スケジュールに従って世界中を「旅行」している。その旅は長い。1年となると、できるだけ負担が少ないように選手側は求めるし、主催者側(ATP&WTA)は、その要求にできるだけ応えたいと考える。
古いテニスファンならご存知のことと思うが、かつて日本には「セイコースーパーテニス」という人気の高いトーナメントがあった。会場は東京体育館。毎年、会場は超満員だった。ところがある年このセイコーはドイツのシュッツトガルドに持っていかれてしまう。理由はツアースケジュール。セイコーの開催は秋シーズン。当時のツアー巡業はすでにヨーロッパに移行していて、カレンダーの中で「ポツン」と東京(アジア)にある大会は違和感バリバリ。日本のテニスファンの気持とは別に、選手たちはかなりの負担を感じていたわけだ。
日本で開催されている男女共催のジャパンオープンも世界ツアーの一つで、長い間、日本テニスの象徴ともいえる存在だった。しかし、現実的には、男子の部は、賞金額が高く、トップ選手が集まるのに対し、女子の部は賞金額が低く、トップ選手はそれほど集まらなかった。そんな男女格差とツアーを転戦する女子選手への負担軽減などを背景に男女の大会分離が計画されたのだ。その計画が発表されたときテニス関係者は青ざめた。「伝統ある大会がなくなってしまうのか……」。日本のテニスファンのためにも、日本の女子テニスのためにも、大会は是が非でも存続させなくてはいけなかった。
そんな窮状を知って「我々にお手伝いさせてもらえないか?」と手を挙げたのが日本ヒューレット・パッカード(HP)だった。会場を東京(有明)から大阪(靭スポーツセンター)に移し、東レPPOとスケジュールを調整し、WTAが開催する秋のアジアツアーの一環として誕生したのが「HPオープン」。ヒュレットパッカードが日本テニス界にとっての救世主となってくれたのだ。
ジャパンオープンから分離する形で2009年にスタートしたHPオープンは、今年で5年目を迎える。HPは東京でしか見られなかった公式戦を大阪に持ってきた。女子の国際大会が大阪にやってきたのは1994年以来15年ぶりのこと。熱心なテニスファンが多いことで知られる関西でHPオープンは温かく迎えられている。
記念すべき第1回大会の優勝者は、後に全米オープン(2011年)を制することになるサマンサ・ストーサー。第2回大会では、ツアーに復帰したクルム伊達公子選手がシングルス決勝まで進出し、再び世界へ飛び出すきっかけを掴み、第3回大会ではダブルスでタイトルを獲得している。また、ワイルドカードを与えられた若い選手たちは、HPオープンで初めて世界のテニスを知り、世界との距離感を感じながらチャレンジを続けている。国内で開催される世界ツアーは、テニスファンだけでなく、日本の選手たちにも、なくてはならないものなのだ。
テニスの世界で冠スポンサーの交代は珍しいことではない。HPオープンがWTAから譲り受けた大会の開催期限は5年間となっている。今年がその5年目だ。
WTAから発表された来期のツアーカレンダーには、「JAPAN WOMEN’S OPEN TENNIS」の表記はあるが、これまでのスポンサーであったHPの名前はない。また、同じように、30年間続いてきた「東レPPO」については、開催の有無すら微妙な表記となっている。来年以降の国内ツアーについては、WTAとJTAの間で継続的に協議が続いており、大幅な再編も考えられる。
5年間、大阪でツアーを支えたHPは、テニスファンに認知されて、次のステップに向かうことになる。サントリー(ジャパンオープン)やセイコー(スーパーテニス)が長らく日本のテニスを支えたように、理解あるスポンサーなくしてテニスは次の世代に繋がっていかないのだ。
おりしも、2020年のオリンピックが東京開催に決まった今、スポーツ界にはこれ以上ないモチベーションと明確な目標ができた。7年後の東京オリンピックに向けて、若い選手に貴重な経験をもたらしてくれる国内ツアー大会を支えることが、結果として日本テニス界全体を支えることに繋がっていくだろう。