世界における女子テニスの歴史も、男子テニスとほとんど変わらないくらい古い。たとえばウインブルドンでは、1884年、男子に遅れること7年で女子の第1回大会が開催された。全米オープンも、81年に全米選手権としてはじまったときは男子のみの大会だったが、87年には全米女子選手権も誕生している。そんななかで、日本女子が世界の舞台に出ていったのは戦後の男子と同じ50年代である。

テニスブームの火付け役

男子の項で触れた加茂公成の姉でもある加茂幸子は、52年と54年全米、54年のウインブルドンにシングルスで出場。日本女子のグランドスラム挑戦の歴史はここからはじまる。なお、いまの天皇・皇后両陛下による「テニスコートの恋」が話題となり、華やかでお洒落なスポーツとして日本にテニスブームが巻き起こるのは、同じ50年代の後半のことだった。

しかし、やはり日本女子テニスがもっとも鮮烈なインパクトを与えた出来事といえば、沢松和子の75年ウインブルドン・ダブルス制覇だろう。前年にプロに転向し、その年の全仏、全米などのシングルスでベスト8(当時は64ドロー)に進出した沢松が、日系アメリカ人のアン清村と果たした日本女子初のグランドスラム制覇の快挙だった。このころ、バブル期に突入したばかりの時代背景も後押しし、テニスブームに拍車がかかったことは間違いない。

日本女子、世界も驚く全盛時代へ

その後、70年代半ばから佐藤直子が日本を代表するプレーヤーとしてグランドスラムに挑んだが、のちの日本女子旋風により大きな影響を与えたのは、80年代に活躍した井上(現・兼城)悦子だろう。いまの選手たちならだれでもやっているように世界ツアーを年中転戦してポイントを稼ぎ、ランキングをあげていくという挑戦を日本女子で初めて本格的に実践したのが井上だった。のちの日本女子旋風の道筋を作った人といっても過言ではない。世界ランクは最高で26位までいった。

旋風が巻き起こったのは90年代半ばのことだ。日本女子の目覚ましい躍進は、国内ばかりか世界の注目を浴びることになる。その先鋒となったのが伊達公子だった。94年にシドニーで国外初のツアー優勝を果たすと、世界ランクはトップ10を切り、その直後の全豪オープンでベスト4に進出。翌95年には日本女子として全仏史上初のベスト4、96年のウインブルドンのベスト4、と「日本女子初」の快挙を次々と成し遂げ、世界ランキングは最高で4位まで駆け上がった。

そんな伊達の活躍に引っ張られるように、グランドスラムの本戦ドローにも多くの日本選手が名をつらね、95年全豪オープンでは日本史上最多の11人の女子が本戦入りした(伊達、沢松奈生子、遠藤愛、杉山愛、神尾米、長塚京子、雉子牟田直子、宮城ナナ、平木理化、吉田友佳、長野宏美)。その大会で伊達を破ってベスト8まで進んだのが、ウインブルドン・ダブルス優勝の沢松和子の姪であり、ジュニア時代から伊達の最大のライバルと目されていた沢松奈生子だった。伊達の存在は、国内の競争力のレベルも確実に高めたといえるだろう。

また、日本女子のミラクルパワーを語る上で、96年のフェドカップもはずすことはできない。伊達、沢松、杉山、長塚という布陣で、当時世界1位のシュテフィ・グラフと5位のアンケ・フーバーを擁するドイツとワールドグループ1回戦を戦い、日本が3−2で勝利した。いまでも日本のテニスファンや関係者の語り種である「有明の奇跡」は世界を驚嘆させた。

全盛を過ぎても消えなかった炎

フェド杯ドイツ戦では、伊達がグラフからあげた1勝があまりにも鮮烈で語り継がれてきたが、2−2で迎えたダブルスでグラフ/フーバー組から最期の勝利をもぎ取った杉山/長塚組は、もっと評価されていいだろう。チームのなかでもっとも若かった杉山は、その後ポスト伊達として抜け出し、03年には伊達以来のトップ10入りを果たした(自己最高は04年2月の8位)。

ダブルスの伝統的な強さも現代に引き継がれている。97年のフレンチオープンで平木がインドのマヘシュ・ブパシと組んだミックスダブルスで優勝。2年後には杉山がやはりブパシと組んで全米オープンのミックスダブルスを制した。杉山のダブルスにおける快挙はこれにとどまらず、00年全米オープン(/ジュリー・アラール・デキュジス)、03年には全仏とウインブルドン(/キム・クライシュテルス)を制覇。ダブルスで世界ランキング1位にも輝いた。

いまや錦織人気でてんやわんやの日本テニス界だが、世界で活躍する男子が松岡しかいなかった時代、あるいはだれもいなかった時代、日本にテニスのニュースを届け続けたのは女子だった。伊達世代が引退したあとも、杉山をはじめ、浅越しのぶや森上亜希子がグランドスラム常連組として、日本女子テニスの火を絶やさなかったことは、テニスに関わる者としては感謝状を送りたいくらいである。

そんな彼女たちもみな引退したが、08年にはなんと伊達が11年半ぶりにテニス界に戻ってきた。いまの日本女子は、41歳のクルム伊達と22歳の森田あゆみが引っ張るという特異な状況だ。グランドスラムに10人以上も日本勢がいた時代は遠くなってしまったが、あの時代の復活を私たちはまだあきらめきれずにいる。

情報提供:テニスマガジン