日本の女子プロテニス界のエースはだれかとたずねられたら、どう答えるだろう。ある人はクルム伊達公子(エステティックTBC)と答え、またある人は森田あゆみ(キャノン)と答えるかもしれない。3月19日付のWTA(世界女子テニスツアー運営組織)ランキングでは森田が73位、クルム伊達が78位とほぼ同格。抜きつ抜かれつしながらここまできた両者が、世代の違う2枚看板として日本のテニスを今、引っ張っている。
よみがえった世界の“ダテ”
1990年生まれの森田がテニスを始めたとき、伊達はすでにラケットを置いていた。絶頂期の96年シーズンを最後に惜しまれながら引退した伊達が、11年半の歳月を経て再びコートに戻って来たのは08年4月。伊達の引退のあとずっと日本のテニスを背負って来た杉山愛はすでに32歳となり、ポスト杉山と呼ばれた森田はこのとき18歳で、グランドスラム(世界4大大会)の本戦入りの目安になる100位の壁を破るかどうかというところだった。
杉山からスムーズなバトンタッチができるよう森田の成長が待たれていたところへ、「寝耳に水」の復活で話題をさらったのが、引退から11年以上が経っていた37歳の伊達だったのだ。年齢やブランクなどのハンデを背負い、10代や20代の若い選手たちに戦いを挑んだ伊達の生きざまは、奇しくも「アラフォー世」などという言葉が流行っていた時流にも乗って、多くの共感を呼んだものだ。
パワー偏重に逆らう快進撃
しかも、「今さらムリでしょ」という予想をあざ笑うかのように、若い選手たちを寄せ付けない強さで国内の小さな大会でポイントを稼ぎ、掲げていた全日本優勝という目標を1年目で達成。翌年からはその目を世界に向け、「グランドスラムが手の届くところにあるのに挑戦しない手はない」と、根っからのチャレンジャーは日本を飛び出した。
“世界挑戦”を始めるとすぐに全豪オープンで予選を勝ち上がり、ウインブルドンではあとの若き女王カロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)をあわやというところまで追い詰め、その年の秋には韓国でツアー優勝。ファンやメディアが興味を持ったのは、「年なのにがんばっている」からじゃない。パワーに偏りがちな最近の女子テニスに慣れきった人々に、技術と戦術を駆使したクラシックなテニスの魅力を教えた、あるいは思い出させたのだ。
閃光を放ったグラフとの激闘
若い頃のように勝ち進むことは少なかったが、伊達はいくつもニュースを作った。そのひとつに2010年の全仏オープンがある。復帰後グランドスラム初勝利を手に入れた相手は、前年準優勝の元女王ディナラ・サフィナ(ロシア)だった。そして、それを上回るドラマが昨年のウインブルドンだろう。2回戦、相手はウインブルドン5度の優勝を誇るヴィーナス・ウイリアムス(アメリカ)だった。
伊達が最後にウインブルドンのセンターコートでプレーしたのは、語り継がれる96年の準決勝、シュテフィ・グラフ(ドイツ)との2日にまたがる1戦だ。当時は存在しなかった屋根を閉めたセンターコートで、伊達の時代にはまだ“気配”しかなかったパワーテニスの象徴とネットをはさみ、第1セット7-6、第2セット3-6、第3セット6-8という劇的な接戦を演じた。
「あきらめない」がドラマを生む
伊達はこの4年の間に、もう十分すぎるドラマを見せてきた。現在、世界ランクは78位。「その年で、よくがんばっている」とだれもが認めるだろう。伊達自身、「ここまでやっていることは奇跡」という。にもかかわらず、満足することができない。「最近は、グランドスラムに出られているだけで十分だろうと自分に言い聞かせているところもあるんです。でも、やっぱりこういう中にいると、自分が41歳ということを忘れて追求したくなる気持ちがある」。その性分が、無謀といわれたこの挑戦をここまで続かせているのだろう。本人があきらめない限り、ドラマはきっとまた起きる。
伊達に2戦2勝の森田
伊達は復帰するときに「若い選手の刺激になれば」といっていた。伊達の復活は次期エース候補だった森田にも影響を与えただろうか。2人の直接対決は2度あったが、いずれも森田が勝っている。若い選手がバタバタと伊達に敗れる中で、15歳でプロ転向した森田はやはりさすがと思わせた。おっとりしているが、ああ見えて負けん気は人1倍強い。伊達の存在は多かれ少なかれ影響しているだろう。
森田のテニスの特徴は、高い運動能力と柔軟な肩をいかした両手打ち。深いテークバックから速いテンポのグラウンドストロークを展開していく。2007年、17歳のウインブルドンでグランドスラム・デビューをはたしたが、1勝が得られず苦しんだ。勝ちを意識するあまり勝ちが遠のく悪循環。悲願のグランドスラム初勝利を手にしたのは通算9大会目となる2010年のウインブルドンだった。
気負わない22歳のエース
グランドスラムでは昨年の全豪オープンの3回戦が最高、ツアーでもベスト4が最高と、爆発的な成績は残していないが、コンスタントにツアーレベルで戦い続けている。昨年はフェドカップで伊達のいない日本チームを引っ張った。
「引っ張るとかいうのはどういうことかよくわからないんです」とやはりおっとりした感じだが、そういいながら、同じ世代の中ではダントツの経験量と安定感でチームの信頼も厚い。もう一皮むける可能性を常に秘め、22歳の道は続く。
情報提供:テニスマガジン