KIM WARWICK

昨日、増田プロから連絡があり、現在オーストラリア遠征で活躍中の内山プロ・渡辺大輔コーチの滞在先(練習場所)が必要ということでした。

さっそく、高校卒業後、アメリカで3年間お世話になったKIM WARWICK氏に連絡しました。

久々に連絡を取ったので、お互いの近況報告などを含め、とても楽しい会話をする事ができました。
ちなみに、現在はシドニーでアカデミーを開校しています。

PAT CASHを紹介してくれたのもKIM!

彼が、ダブルスを一緒に組んでくれたことは、僕の財産となり、B・ベッカーに勝てたのも、全日本タイトルを獲る事が出来たのも彼のお陰だと感謝しています。

KIM WARWICK
1952年4月8日 – )は、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州シドニー市出身の元男子プロテニス選手。1980年の全豪オープン男子シングルス準優勝者。1970年代後半から1980年代前半にかけて、オーストラリアを代表するダブルスの名手として活躍し、4大大会で男子ダブルス4勝、混合ダブルス2勝を挙げた。ATPツアーではシングルス3勝、ダブルス26勝を挙げたが、準優勝が1980年全豪オープンを含めて8つあった。

ウォーウィックは少年時代、オーストラリアの名コーチであるビクトル・エドワーズの“秘蔵っ子”として知られた。エドワーズはイボンヌ・グーラゴングを育てたコーチであり、ウォーウィックとグーラゴングは1972年に混合ダブルスでペアを組んだ。2人は全仏オープンで地元フランスペアのジャン・クロード・バークレー&フランソワーズ・デュール組を 6-2, 6-4 で破り、続くウィンブルドンでもイリ・ナスターゼ&ロージー・カザルス組との決勝まで進出したが、ナスターゼとカザルスには 4-6, 4-6 で敗れた。その後しばらく低迷期があったが、1976年全仏オープン混合ダブルスでイラナ・クロス(南アフリカ)とペアを組み、4年ぶり2度目の優勝を果たす。ウォーウィックの4大大会男子ダブルス初優勝は、1978年全豪オープンであった。この大会で、ウォーウィックはポーランドのヴォイチェフ・フィバクと組み、決勝でポール・クロンク&クリフ・レッチャー(ともにオーストラリア)組を 7-6, 7-5 で破って初優勝を決めた。パートナーのフィバクにとっては、これはポーランドの男子テニス選手として初めて獲得した4大大会タイトルであった。

彼と過ごした、3年間は僕の青春の1ページです。


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