「可能性」。それは、選手の将来を見据えて考えていく職業のテニスコーチには、なくてはならない言葉。この言葉に多くの人は、夢を見て、迷って、喜び、苦しみ、多くの経験をする。この言葉が表現となって表に出る時には、ある程度何かを裏付けるデータや経験があって伝えられるものであるが、明確な基準の定義はなく決定的なものではない。良く言えば「夢のある言葉」、悪く言えば「いい加減で人騒がせな言葉」であると思う。
先日、「車いすプレイヤー強化キャンプ」を行った。TTCには北京を目指している選手が男子4名、女子1名いる。キャンプ最終日に、ある選手のプライベートを行った。選手の課題であるショットだけに何と3時間もかけた。普段の練習構成ではあり得ないことをした。
最終形をイメージしながら、身体の使い方からスタートした。しかし、選手は自分に変化を感じながら打てていなかった。こちらは、途中で何度も確認を取っていたが、思うように効果は上がらなかった。
車いすの選手は、個々に身体の状態に違いがあり、同じ部分のケガでも機能する箇所が微妙に違うため、「できるもの」と「できないもの」がでてくる。
要は、ここでのすれ違いがあった。本人は、小生の意とすることは理解できていたが、身体の都合上「できないのではないか?」もしくは「できない」と思っていた。しかし、小生は「できる可能性がある」と思っていた。腹筋はどこまで感じるのか?背筋はどこまで感じるのか?動作の感覚はどこにあるのか?など、ありとあらゆる情報を選手から聞き出し、「可能性」を感じたのである。選手と同じ状況にないため、ある面では信用性に欠けるが、「可能性」にチャレンジするという意味で、「できる」&「やれる」というポジティブな会話に専念し、最初は疑い半分の会話から、3時間後には、注文通りの事ができるように変化していった。
選手の可能性を引き出せたことよりも、選手自身が自分に対する可能性を見出せたことが、本当に嬉しく思う。選手自身も、初めは「できないと」思っていたらしく、自分は「やれる」ということを実感したことを伝えてくれた。
「可能性」という言葉ほど、あてになる言葉はないかもしれないが、この言葉とうまく付き合っていけるコーチでありたいと強く感じた。
コメント
なるほど!
とても勉強になります。これは、車いすテニスに限ったことではないかもしれませんね。一人一人の選手をしっかり見る、感じることがコーチは大切なんでしょうね。
私も「なるほど」とても勉強になります。可能性という言葉をそこまで実体として考えたことはありませんでした。自分自身でも心と身体のことが全部分かっているわけでは無いのに、それぞれの選手の方の可能性を引き出すことは生半可なことではないのですね。でも、素晴らしいお仕事ですね。
bunbunさん、にび色さん、コメントありがとうございます。いずれにせよ、何をするにも「感じている」ということが、大切なことですよね。これからも宜しくお願いいたします。