車いすテニス指導者へのきっかけ

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以前の記事「身の丈を超えないことが自然体」で紹介したい方がいるということで、記載させていただいた、小生が車いすテニスの指導者としてのきっかけをいただいた方が、上記写真の大森康克氏です。大森氏は、長きに渡り日本の第一人者として、活躍されてきた選手であり、バルセロナパラリンピックとアトランタパラリンピックの日本代表でもある選手でした。現役を退き、現在では毎週日曜日にヴォランティアで、都内からTTCに来ていただき、選手育成のお手伝いをしてくださっています。

以前の記事にも書きましたが、「心のバリアフリー」というものに対し、身をもって教えてくださった方で、今でも本当に心から感謝しています。大森氏と出会っていなければ、「今の自分は無かった」と思っています。

当時、週3回のレッスン(ヒッティング)を半年ほどご一緒させていただいたかと思います。現役最後の大会と決めた日本マスターズで、もう一度「優勝」したいという希望を胸に練習はスタートしましたが、小生には何のノウハウもないため、ひたすら必至に打ち合い、感じることを感じるままにアドバイスさせていただいた・・・と言うだけでした。

結果は当時若手の台頭として成長著しい斎田選手に決勝で敗れてしまいましたが、この大会に出場できそうにもないランキングから半年で出場でき、しかも決勝に進出できたことを思えば、当時の自分にとっては上出来であり、大森氏とともに満足感にひたったことを思い出します。

この大会を最後に、大森氏は引退し、結婚されて素敵な家庭を築かれております。そういえば、結婚式の時に、歌を歌わせていただいと事を思い出しました(笑)

小生は、このマスターズの結果をもって、この世界からは身を引こうと考えていましたが、大森氏の強い説得で、新たに紹介された選手が、2000年シドニーパラリンピック日本代表、そして2003年国別対抗戦で日本が世界の強豪を立て続けに破り、アジア初のチャンピオンとなった時のメンバーでもあった、山倉昭男氏です。

小生にとって、大森氏は、この世界へのきっかけをいただいた方であれば、山倉氏は、コーチとしての基礎を作っていただけた方です。山倉氏との話は、追って紹介させていただきたいと思います。

コメント

  1. テニス好き親父 さん : 2008.04.10

    大森さん。TTCへ御邪魔したとき数回とおくから御姿を拝見しております。実は、私の住んでいるところで、車いすテニス協会の設立記念講習のとき、理事長ご夫妻、岩月さん、長塚コーチと同行されたのを覚えております。そしてその御人柄、テニスを目の当たりに拝見したときの感動はいまだに残っております。そのお陰で、私たち家族の車いすテニスとの御付き合いが始まりました。感謝いたしております。私の尊敬する方の話が在ります。「テニスは私(I)とあなた、そしてラブオール。Iも愛。ラブも愛、まず愛から始めよう」大塚さんそしてTTCの皆さん愛を教えていただき有難うしたございました。そして今後とも宜しくお願いいたします。

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