帰国後、ロンドンパラリンピックまでの4ヵ年計画をそれぞれの選手達と共に話し合いが始まった。2012年9月までの予定は本当に長いというのが正直なところ。
おかげさまで、斎田・国枝・藤本選手はロンドンまで、「強い日本」を背負って行くということを表明し、新たな取り組みにチャレンジすることとなった。
以前、斎田選手が四日市から柏に拠点を変更し、プロであるまじき行動に対し、いわゆる「怒鳴った」ことがあると記載したことがあるが、小生が携わってきた国枝選手以外のすべての選手は、思い切り自分の思いをぶつけて怒鳴っている。
我慢に我慢を重ねた結果、怒鳴ってしまっているとはいえ、この好意は良くないと思っているし、怒鳴ってしまったことに対しては本当に反省している。コーチというもの、冷静に判断を下し、その選手に対し自信を付けさせるために、「積極的な言葉」をかけていかなければ本来のコーチとしての役割を果たしていないと感じる。
これからもこの世界で仕事を続けて行くためには、自分自身の器に常に変化を与えるべく行動をしていくと心に決め、やはりその時々の状況はあるとはいえ、「穏やかでありたい」と思っている。
さて、国枝選手とも危ないときは過去1度だけあった。世界No1になって間もなくのことだったと思う。早朝練習で、いつもと違う雰囲気の国枝選手がいた。コートに入ってきたときの眼は鋭さがあり、オーラを発しているはずのものが何一つ無い。No1になって、目標を見失い苦しんでいるようにも見えた。
No1になったときに、今の場所に胡坐をかくことは、自分の成長を止めてしまうことにつながるため、「すべきことは何なのか?」ということを常に考え、テニスに取り組んでいく計画も立てていたのだが・・・彼は、若干23歳である。自分に立場を置き換えて考えてみれば、無理も無いことかと思いつつも、彼の置かれている立場は「夢」を与えるという役割を果たさなければいけないのである。
全て投げやりにボールを打っているかのようだった。ボールも追いかけない。
「どうした?体調悪いか?」の質問に対し、
「やる気が出てこない・・・」の回答。
「やる気がないなら、休むが一番だぜ」
「・・・・・」
「俺はお前がやるというから、朝5時半にきて準備している。お前にやる気がないのなら俺はここに来ている意味がない」と穏やかではない表情で言ったと思う・・・
すると国枝選手は、我に返ったように、「ちょっと待っててください」といきなりコートを出て行った。
5分ぐらいであったろうか?トイレだけだったら、そんなに時間がかからないはず。襟元がびしょびしょに濡れていたため、顔を洗って気合いを入れてきたと感じた。
「コーチすみませんでした。もう一度お願いします。」
事が起こる前に、自らの判断で自らの過ちを断ち切るスピード。半端な奴ではないなと、同時に感じた時でもあった。それ以来、国枝選手との練習はそのような雰囲気になることは一切なく、常に志が高い状態で練習ができていることは言うまでもない。
「一を聞いて十を知る(感じる)」何かを感じる能力は、そのコミュニケーションの質を変えて行く大切ツールであると感じた。
コメント
更新されるたび、いつも楽しく読ませてもらってます。
子供の頃「一流のスポーツマンは必ず頭もいい」と親が言っていたことを今でも覚えています。
今回のブログを読んで、つくづく例外はないんだなと思います。
読み応えのある連載ありがとうございます。
北京パラリンピックが終わって、国枝さんの発言を報道を通してうかがいながら、もしかして引退? と実は心配していたのですが、先日の天皇・皇后両陛下との国枝さんのやりとり、そして今回の丸山コーチのこの記事を読ませていただいて、斎田さんも藤本さんも皆さんロンドンを目指されるということを確認できて、とても嬉しいです。選手にとってもコーチにとってもこれからの4年間、また長い(胃も痛くなる?)日々が始まりますが、さらなる高みを目指して頑張ってください。応援してます。
P.S. 馬に乗っている丸山コーチ、さまになっていてかっこよかったです!
国枝選手が歩いた4年間
引用;丸山弘道コーチ公式ブログ フィロソフィーhttps://tennis.jp/blog/hiromichi_maruyama//0…
拙ブログまで、お越し頂きコメントまで
頂き心から感謝致します。
無料ブログの悲しさか
只今サーバーが混み合って、せっかく頂いた
コメントをブログに表示できていませんが
管理が面からは、しっかり拝読させて頂きました。
心から感謝申し上げると共に
丸山コーチに読んで頂いた感動で
実人生にも新たなチャレンジをする勇気を
頂きました。
重ねて御礼申し上げます。