北京パラリンピックの男子決勝戦終了後、フランスのナショナルコーチとジャージを交換した時のものです。平和と友好の象徴的なシーンです。
バンクーバーオリンピックで熱気ムンムン!世界を代表するアスリートが集うなか、日本チームは最高のパフォーマンスを発揮すべく姿に感動しています。
今回のオリンピックは「国母選手の騒動あり」、場外においても多くのネタが溢れ、いかに「オリンピック」が大きいものなのかを思い知らされます。
アスリートとしては、4年間の思いをこの数週間に、最高の自分の姿を表現することに集中し、それが終わるとともに、ある者は燃え尽き、ある者は再度チャレンジをしていくなど、新たな選択と同時に新しい1ページが作られていきます。また、それを支える多くの取り巻きも同様な思いをします。
近代オリンピックの父「クーベルタン男爵」も、「オリンピックは参加することに意義がある!」という名言を残しておられますが、もうひとつ心に響く言葉を残しておられます。
「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」という言葉です。
今回の団長、橋本聖子氏は、国母問題を以下のように締めくくりました。「五輪は教育の場。世界に注目される舞台で競技力に定まる人間力が身につく」と・・・
ものすごく立派な、コメントだと思います。しかも橋本氏は、大会に出場してメダルまで獲っている人が言えば、とても説得力があります。
また、財団法人日本オリンピック委員会会長の竹田恆和氏は「オリンピックの意義」として、以下に述べています。
「オリンピックの主催者が国際オリンピック委員会(IOC)であり、IOCが定めるオリンピックに関する憲法とも云うべきものがオリンピック憲章である。
このオリンピック憲章において、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、バランス良くこれを結合させることを目指す人生哲学をオリンピズムと表現している。
このオリンピズムの目標は、スポーツをあらゆる場で、人間の調和のとれた発育に役立て、人間の尊厳を保つことを大切に考える平和な社会の確立を促進することにあるとともに、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯感、フェア・プレーの精神をもって相互に理解しあうことを要求するものである。
このオリンピズムに基づき、スポーツを通して青少年を教育することによって、平和でより良い世界をつくることに貢献することがオリンピックムーブメントである。
このオリンピックムーブメント活動は、恒久的かつ普遍的なものであり、その頂点に位置づけられるものが世界のトップアスリートを一同に参集させ開催されるスポーツの祭典「オリンピック」である。」と・・・
このように、「メダルだけがすべてではない!」ということを、もともとの発想としてスタートしたオリンピック。北京の時にも取りざたされた「メダル至上主義」。
最後の一文に、「世界のトップアスリートを一同に参集させ・・・」これが綺麗ごとではなくなる要因でもあると思います。トップアスリートも人間なので色々な人がいます。但し、「勝負魂」は半端ではないですから・・・
以前に小生は、「メダルを獲るとか獲らないかということよりも、自分自身の金メダルを目指してほしい」とこのブログに書いたことがあります。
しかし、オリンピックやパラリンピックは、すでに綺麗ごとでは済まされない次元にきていることは間違いなく、「ロンドン」を目指す前に、今一度原点を考えてから挑戦したいと思います。