自分を誇れる人生を歩む

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ご無沙汰しております。

本当に色々なことがあり、精神的にも肉体的にもだいぶやられていました。

今日はここで、正々堂々と新たな決意をすべく久しぶりにブログを書きました。

しばらく投稿していないせいか「Tennis Navi」 さんにも、うしろめたいところがあり、これを機に「思うこと」、「感じること」を少しずつ掲載していきたいと思います。

「人生山あり谷あり」「乗り越えられない試練を神様は与えない」「努力は必ず報われる」「あきらめないことが成功につながる」など、人は、色々な言葉で、勇気を与えられながら生かされていることに気付く。

普通に生きることがどれだけ難しいことなのか、また「普通」って何?と、時々考えさせられることがある。

この半年間、人生の折り返し地点にいる今の自分と、過去の自分、そしてこれから迎える未来の自分と話し合った。

これだけ多くの自分と話し合ったことは、今までに1度もなかったように思う。

テニスコーチという職を選択してから、千葉で15年、名古屋で1年半、それぞれのクラブで多くのことを学び、多くの仲間と切磋琢磨しながら歩んできた。本当に素晴らしい仲間とともに過ごせた貴重な時間だった。

そして、自分と前向きに話し合った結果、2014年5月20日をもって、名古屋グリーンテニスクラブを退職する選択をした。

柏から名古屋へ移籍することも大決断であったが、2013年9月に思いもよらないことが起こった。それは「2020年東京オリンピック&パラリンピック」の決定。

その時は、国枝選手に帯同していたUSオープンの決勝前日に決定したことを覚えている。

当時を思うと、その瞬間から自分の立ち位置に少し疑問を感じていたことは間違いない。

自分の歩んできたテニスコーチとしての16年間を振り返った時に、少し違う観点からの道を歩もうと心に決めてはいたが、同時に「2020年東京」に向けて、自分がこれと決めて情熱を降り注いだ車いすテニスへの16年の総決算をすべきだと思った。

また、それを断ることや拒む理由が全く見当たらなかった。

「東京」決定までの数日間は、決まらないでほしい思い50%、東京に決まってほしい思い50%であった。

どちらにしても、既にこの時に自分で自分の方向性は決めていたのかもしれない。あとは、自分の「ケジメ」をつけるタイミングは何時なのかということに尽きたのかもしれない。

どうせここまで「ヤンチャ」を突き通してきた自分の人生に、どこかに何か引っ掛かるものがないようにしたいと思った。

そして半年間悩んだ挙句、自分に対して「正しい答えを見つけるためではなく、正しい問いを見つけるため」に、これから歩もうとする自分の道を決めた。

最後は、自分の全身全霊をかけるに値するものは、「夢」しかないと思った。

こういったことは、他人に対してオープンにする問題ではないと思うが、今回は自分の日記レベルの感覚で書いておこうと思ったことと、今までの自分にけじめをつける意味やこれからの自分の活動が、少しでもテニス界に貢献していくコミットをするために改めて文字に残そうと思った。

個人活動といえども、今と変わることなく多くの方々に支えられることは間違いない。

今まで以上に敏感なアンテナを張り巡らせ、多くのことを学び続け、気を利かせながら、自分をタフにしていかなければならないと思っている。

裸一貫もう一度初心に帰って、自分が思うことを実現するためにひた向きに行動していこうと思う。


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