写真は、2004年「アテネパラリンピック」の閉会式で写したものです。無事に「金」を獲り、清清しい顔をしています。
前々回の記事に伝えた通り、2004年アテネパラリンピックで学んだことを記載します。これは、斎田選手が2004年の年明けから極度のスランプに陥ったことが発端でした。もともと、落ち着いた環境のなかで、じっくり自分と向かい合いながら練習をしていく斎田選手。当時を振り返れば、多くの様々な環境が彼を苦しめていた気がしています。
練習では、いつも納得がいかない、試合では負けるはずのない相手に負ける。その結果、思い切ったイメージでプレーができなくなり、すっかり自信を無くしていました。そんな彼の気持ちに、同情してしまい「なんとかしなくては・・・」という焦りの気持ちにもがき苦しみました。よって、練習の最中も選手に対して非常に気を使ったため、1回のレッスンを終えると極度の疲労が身体に残っていた。気分も滅入り、新しい朝を迎えることがとても苦しく辛かった。
しかし「アテネ」は待ってくれない。その焦りも重い重圧となって我々に襲い掛かってきた。実際に大きな壁となり立ちはだかっていたものは、苦手なショットをどのように克服して行くのか?ということであった。単純な繰り返しを続けていくことが、自信をつけて行くことと決意し、原点に振り返る練習を繰り返した。それでも時間は瞬く間に経過して行く。どうしたら良いのか?
ある日、斎田選手のビデオを持ち帰り、自宅で研究すること8時間。親には、何も食べないで、同じ場所を何百回と繰り返し見ながらブツブツ言って、頭がおかしくなったと思い心配した。と冗談で言われたことを覚えている。最終的な結論としては、「良いところを更に伸ばしていく」ことが最善の策という結果に至った。普通の状況であれば、そんな答えは考えると同時に出てくることである。しかし、この時はこれだけの時間をかけなければ、この数秒もいらずに回答できることの答えを出すことができなかったのである。
初めての経験である「パラリンピック」。4年に1度というプレッシャーなのだろうか?そこでゴールドメダルを獲ろうとしていることで更に拍車がかかったと思っている。今思えば、その回答を得ることができた時は、なぜか気持ちが座ったような気がした。次の日からの練習メニューを大きく変更し、得意なショットを中心に練習していくと、今までのことが嘘の様に、調子が上がって行ったことを覚えている。
極限の状態で、考えに考え抜いて思いつくものは「信用」ができる。このような経験をできたことが、小生のコーチングに改革をもたらしたことは言うまでもない。とにかく客観的に冷静に判断することを身に付けた。今回も「北京」控え、このような経験ができると思うととても興奮してくる。「アテネ」の時と立場が違うこともあるが、「北京」では、前回の経験を活かした判断をしていくつもりである。
「北京パラ」という過酷な山にアタックする以上、用意周到、準備万端で、最後の最後まであきらめずに果敢に挑戦していこうと決めている。