長年にわたりNYで日本のテニス・プレーヤー達をサポートしていた「レストランニッポン」の倉岡伸欣(のぶよし)社長が1月13日、療養先の病院で亡くなった。
その日は全豪オープン予選が行われている日。倉岡ご夫婦にお世話になった選手たちは訃報を聞き喪章のリボンを腕にプレーした。
享年86歳。葬儀は18日、近親者だけで行われた。
昨年10月31日、倉岡さんの妻、璄子(えいこ)さんが他界したばかり。
1月31日、倉岡夫妻を偲ぶ会が、レストラン日本で行われ、倉岡ご夫婦の急逝を悼んだ。
サポートのきっかけは、世界挑戦のけなげな姿
きっかけはまだ中学生だった岡本久美子が一人でオレンジボウルに遠征する際にNYで倉岡ご夫婦にお世話になったこと。
岡本久美子(1965年2月生まれ)は、同学年の井上悦子、岡川恵美子とともに“3人娘”として1980年代の日本女子テニス界をリードした選手の1人。
倉岡さんは苦労してニューヨークでレストランを開業した人、
一人で世界に挑戦している10代の岡本久美子のけなげな姿に子供のいない倉岡夫婦は感激、日本のテニス選手達をサポートしようと決める。
そのサポートは半端ではなく、ウィンブルドン期間中は会場近くの一軒家を借り切り、料理人スタッフをNYから連れてきて、日本人選手達に無償で食の面でサポートした。(約5年間)
サポートは日本人選手達だけではなく、ナブラチロワなど世界のプレーヤー達も。
松岡修造、伊達公子、沢松奈生子、杉山愛、錦織圭などから予選に挑戦に来た日本人プレーヤーたち全員、そしてテニス関係者もUSオープン期間中はお世話になった。
倉岡さん ありがとう
伊達公子
NewYork「レストラン日本」のオーナー夫妻が亡くなられ、偲ぶ会に駆けつけました。
プロになったばかりの10代だった頃から 、いや私の先輩たちの80年代から長きに渡り出場する選手たちみんなにおにぎりが入ったお弁当を作り続けてくださいました。
歴代の世界トップ・プレイヤーもたくさんMr. Kuraokaとニューヨークに訪れる度に再会を楽しみにしていました。
日本テニス界における強力なサポーターでした。
倉岡さんご夫婦のご冥福をお祈りいたします。
伊達公子ブログより
感謝 私の人生のきっかけを作ってくれた人
西谷明美
レストランニッポンの倉岡伸欣(ノブヨシ)社長そして璄子(えいこ)ご夫妻を偲ぶ会が31日にニューヨークのレストランニッポンで行われました。
日本から伊達公子さん、竹内映二元デ杯監督が駆けつけてくれました。
1980年代、井上悦子、岡本久美子、岡川恵美子、を筆頭に私達駆け出しの女子選手が世界のツアーにゼロから挑戦していた頃、
コーチや家族も帯同せずにアメリカ国内の田舎町や南米を転戦、なんとかUSオープンまで頑張れば倉岡ご夫妻がニューヨークで待ってていてくれる!と奮い立たせながら戦っていました。
私は、1989年USオープンで全身痙攣を起こして予選最終ラウンドで負けた後に涙を流しながら食べたご夫妻からの差し入れのおにぎりの味は今でも忘れません。
トップ選手であろうが、予選一回戦で負け選手であろうが、予選には入れず翌日のフライトでNYを去らなければいけない選手まで、分け隔てなく応援し続けてくれました。
ウィンブルドン期間中は家を借りて日本選手に炊き出し、毎日、毎晩暖かく支えてくれました。
あの当時の日本食の力が私達が世界で戦える力の支えになったことは間違いありません。
ご夫妻との出会いがきっかけで、私のパートナーがみつかり、私のニューヨーク生活が始まりました。
そして様々なことを積み重ね私はアメリカでテニスプロフェッショナルコーチとして生活、充実した日々を送れるようになりました。
「レストランビジネスは、いつでも謙虚にお客様に美味しいお食事を出して笑顔で誠心誠意接して『楽しかった!』と言って帰っていただくことが究極の使命だ」と私に一度だけ教えてくれました。
私はテニスプロコーチとして、どんな時でもその言葉を忘れずにやっています。
これからも誠心誠意、謙虚に取り組んで日本、アメリカ両国のテニスのためにみなさんに「テニスが楽しかった」、と言っていただけるプロとして活動して行きたと思っています。
社長、ミセス 感謝です。
合掌
木下(旧姓西谷)明美
東京都出身
1955年 慶應義塾大学法学部卒業。
1958年 オハイオ州マイアミ大学大学院 MA取得。
1961年 「ワコーインタナショナル株式会社」設立。
1963年 米国初 本格的寿司バーを備えた日本食レストラン「レストラン日本」を開店。
本物の日本食の提供にこだわり、「二八そば」、トラフグの輸入、日本食普及に貢献。
2006年 農林水産大臣賞
2009年 旭日小綬章が贈られる。
倉岡璄子(エイコ)
新潟県出身。
大映の新進女優だった1963年に伸欣さんと結婚、NYに。
老舗日本料理店レストランニッポンの看板娘?ミセスとして店を支える。
記事:塚越亘/塚越景子 写真提供レストランニッポン