錦織圭は、準々決勝でジョコビッチに敗れ、1933年の佐藤次郎以来85年ぶりの4強入りはならなかった
しかし圭の8強入りは凄いこと。特に、日本人から聖地として見られているウィンブルドンで。
1995年の松岡修造以来、日本男子で23年ぶりの8強だがそれは「1つのゴール」狙うは「優勝」と口にした。
4強入りを逃し改めて8強について聞かれ「そんなに思いはない・・・」と素っ気ない。
それより「芝でいいテニスができ、自分のテニスを見つけ出せた・・・・」それが嬉しいと言う。
時代の移り変わりをウィンブルドンではいつも感じます。
1975年、沢松和子がウィンブルドンダブルスに優勝した時、シャッターを押さず拍手していた。
川廷さんに、日本人プレスはたった二人。数少ない目撃者なのだから、色々な角度から記録を残しておきなさいとアドバイスされた。
1995年、松岡修造が8強を決めた時、両手を上げコートを走り回り喜んだ。一緒に転げまわるようにシャッターを押した。
2018年、錦織圭の準々決勝はこの一枚。
取材も30社をこえる。多くの人がTV生中継で目撃している。
私もカメラマンから記者として申請。(プレス席からは原則撮影禁止なので)
思い出すのは私の誕生日と松岡修造のウィンブルドン予選決勝日が重なった1990年。
前日の食事の時。修造に「勝ちビビリしそうな時は自分を指さし“俺のために頑張ってくれ!”とサインを出すから」と打合せ。
そして迎えたマッチポイント。大きく自分を指さしたら修造が吹き出したことだ。
修造の初ウィンブルドン本戦入りは私が笑わせたからかな、と今も思っている。