2月7日(火)、ユニクロ本社(東京都江東区)に用意された会場に姿をみせた国枝慎吾は、晴れやかな笑顔で引退会見に臨んだ。
「東京パラリンピックが終わってから引退ということについては、ずっと僕自身も考えいて、昨年はグランドスラムのシングルスのタイトルも、4つのうちの3つを獲得して、すごく調子も良かったのですが、最後に残されたウインブルドンでの優勝が決まった後に、チームみんなで抱き合い、その時、芝生のコートの上で最初に出た言葉が『これで引退だな』という言葉でした。
その後、全米オープンは年間グランドスラムもかかっていたので、そのままモチベーションで行けたのですが、全米終わってから僕自身『もう十分やりきったな』というのが、ふとした瞬間に口癖のように出てしまった。そのままテニスをしてていいのかなっていう気持ちがになってしまって、これはそういうタイミングなのかなというところで(引退を)決意をしました。
プロ転向してから本当に長い間、所属スポンサーであるユニクロを始め、多くのスポンサーの方々にも同席していただいています。本当にありがとうございました。
また、日頃から一番身近で支えてくれている妻や、テニスのきっかけを与えてくれた母、天国で見守ってくれている父、コーチ、トレーナー、マネジャー、車いすテニスの先輩方や関係者の皆様、僕自身を支えてくださりありがとうございました。
最後になりましたが、応援してくださっているファンの皆様には、『最高のテニス人生を送れました』と言い切って締めの挨拶とさせていただきます。ありがとうございました」
グランドスラムはシングルス通算28度、ダブルス22度優勝し、パラリンピックは2004年のアテネから5大会連続出場し、北京、ロンドン、東京でシングルス金メダルに輝く。昨年は待望のウインブルドンで優勝し、生涯グランドスラムを達成しており、記録としての偉業は、多くの人が知るところだ。
しかし、国枝の偉業はそれだけにとどまらない。車いすテニスにおいて、技術や戦術においても革命をもたらしてきており、それが強さの理由でもあり、競技としての魅力を伝える結果となった。
その一つ目は「ワンバウンドでの返球」だ。
車いすテニスのルールは「2バウンドでの返球が有効」だが、ワンバウンドでの返球はルール違反ではない。しかし、ボールを打ったその手で車いすを操作し、次のボールに追いつくには、鍛錬を重ねたチェアワークが必要となる。
力強く漕ぎ出し、自らの手でブレーキをかけて打つ。ストップ&ダッシュをやり続けるために、手の皮がめくれるほど練習を重ねた成果だ。
また、2バウンドの返球にワンバウンドが加わることで、相手は早く準備をしなければならない。タイミングのバリエーションが2つあることによって、戦略的にも有効だ。
二つ目に「バックハンドのトップスピン」がある。
それまでの車いすテニスのバックハンドは、2バウンド目の低いボールをスライスで返球するのが主流だった。しかし、国枝はボールを落とさずにスピンで返球した。
フォアに加えてバックハンドでも高く弾むスピンを持っていることで、さらに攻撃のオプションが増える。
ワンバウンドでの返球、バックハンドのスピン。これらを全て武器にまで仕上げたのは、国枝が車いすテニスで初めてと言える。