セカンドキャリア、デュアルキャリアといった言葉が一般的となってきた今、テニスの現場ではその理解や浸透は進んでいるのであろうか? プロテニスプレーヤー笹原龍が、プロジェクトメンバーとして参画し取り組んでいる三菱総研の『アスリートFLAP支援事業』について取材した。

『アスリートFLAP支援事業』は、通常はリサーチやコンサルティングを事業の柱としている三菱総研が、創立50周年を機に立ち上げた新規事業だ。事業推進プロデューサーの木村健人氏は、その立ち上げの理由として「三菱総研は社会課題の解決を会社の理念として掲げているので、政策やコンサルで社会課題の解決を提案するだけでなく、自分たちでも行動して解決に取り組もうと始めた事業の一つです」と語る。

具体的には、現役アスリートや元アスリートが、競技以外の様々な交流や仕事の経験を通じてデュアルキャリアやセカンドキャリアを形作るために、企業や自治体とのマッチングを行うというもの。『アスリートFLAP支援事業』の“FLAP“とは、「Find(知る)」「Learn(学ぶ)」「Act(行動する)」「Perform(活躍する)」の頭文字をとったもので、アスリートが競技によって培った能力や強みを、ビジネスや地域活性化等スポーツとは異なるフィールドでも発揮・活躍することを目指す。

三菱総合研究所のコンサルタント小林学人氏、アスリートフラップ事業推進ディレクターの笹原龍氏、同プロデューサーの木村健人氏

この事業でアスリートに着目した理由は二つあると木村氏は言う。

「1つは次世代のアスリートを生むためです。そのためには、プロやオリンピックで活躍したアスリートが引退後も様々な分野で活躍し輝き続ける幸せな人生を歩んでいる姿を、子供たちやその親たちが見ることが大切です。現実には引退後、指導者・解説者・メディア等で活躍するアスリートは一握りです。多くはプロ契約やスポンサー契約が終了し、企業等に就職しようにも『スポーツしかしてこなかった自分に何ができる』という心理的ハードルやためらいがあります。また就職しても『30歳の新卒扱い』となり、活躍まで時間がかかる状況があります。

このような状況を解決したいと考えたのがアスリートに着目した理由の一つです。

そしてもう一つが、アスリートが今後の成長分野の仕事で活躍するポテンシャルが高いことです。今後、創造的変動的なテーマに対して、分析的にアプローチする仕事が、需要も報酬も高まるという傾向にあります。例えば、ITエンジニア、ウェブデザイナー、データアナリストなどです。AIやロボットが仕事をするようになってくる時代だからこそ、これらを創る/活かすような仕事の需要が増えてきます。一見、アスリートから遠いように見えますが、アスリートは練習方法を工夫して創造したり、本番に向け相手を分析したり、本番で状況が変わっても柔軟に対応する等、実はこの分野で求められる能力を競技を通じて磨いており、多くの方が高いポテンシャルを持っているのではないかと考えています。自分で目標を立て、改善しながら、あきらめないで達成する力も多くのアスリートが共通で持つ強みです。これも成長分野の仕事で求められる能力です」

かつてプロ選手として海外を転戦し、現在はテニス普及に邁進する笹原は、このプロジェクトの事業推進ディレクターを務める。アスリートに現役のうちから色々な機会を提供し、企業や地域の方と接点を持ちつつ、スムーズにセカンドキャリアを歩んでもらうためのマッチングがその仕事だ。

「僕自身が多くの国を回り、選手・コーチ活動を行ってきた経験を経て、テレビに出演させていただいたり、商品の広告塔になったりと色々なことをやらせていただいています。一番はそういった経験を生かし、テニス選手やコーチたちの仕事の選択肢を広げたいという思いがありました。そしてテニスという枠や垣根を越えて多くのアスリートの方々と携わる中で、僕自身が持っている知見を皆さんと共有し、企業や自治体の皆様の活動の後押しをしたいと考えました」

FLAP事業の仕組みとしては、アスリートは「アスリート・イン」という専用のポータルサイトに登録しそのサービスを受けられる。AIメンターで自分の適性や強みの分析結果を得ることや、仕事や学びの機会の情報閲覧、アスリート同士の交流等が可能となる。

一方企業・自治体側は「アスリートサポートラボ」というプラットフォームによってアスリートとのイベントでの交流や、スポット的なコラボ・短期の仕事、正社員採用などのつながりが得られる。

両者の最適なマッチングを図るには、アスリートの登録数、企業・自治体のプラットフォーム加盟数の双方を増やすことが大きなポイントとなる。そのためにどのような仕事があるのか、何をしていくべきなのかをアスリートや企業・自治体に提案していくことが笹原の仕事となる。


色々なジャンルのアスリートとも交流する案件も多くある。写真提供:日本財団Heros・三菱総合研究所アスリートFLAP支援事業

初めは登録者だった笹原が、現在はスタッフの一人として業務に邁進するには理由がある。

「この仕事に携わらせていただいていく中で、テニスにとどまらず、競技の問題点とか課題点というのが見えてきました。また逆にテニスが恵まれているところも理解してきた中で、スポーツ界全体の状況を変えることができるのは、今の自分の立場しかない、使命だと思うようになりました」

昨年は、「インターカレッジ・コンペティション」という、大学生がスポーツやウェルネスにおいて新たなアイデアを競い合うコンペティションにおけるメンター的サポート役として、引退した井上雅プロを繋いだという実績もある。

まずは知ってもらう、興味を持ってもらうというところがスタートとなる中、キャリアについて考えるきっかけが欲しい、仕事を探している、スポンサーを獲得したいというアスリートへ向けた「キャリア交流会イベント」等も行っている。

木村氏は「まず自分自身をよく知る。何がやりたい人間なのか、どういう事が好きで、どういう強みがあるのかということを知り、それに対して新しいことを学び、実際に行動してみることです。引退後に知人の紹介など限られた選択肢から就職するのではなく、できれば現役時代から自分が好きな分野でいろいろな仕事にアルバイトでもチャレンジしてみたり、セミナーや交流会に行ってみたりすることによって、自分の選択肢を広げた上で働く場所を見つけていただければと思います。引退して一度就業した方も同様です。自分の本当にやりたいことを考え、新たな選択肢を常に見出して続けてほしい」と、“FLAP“のサイクルを継続的に生み出すことを望む。

アスリートが競技で磨いてきた創造力、変化への対応力、分析力、目標を立て努力し、そして結果を見てさらに改善していくという完遂能力に着目したこの事業、プロテニスプレーヤーの登録も随時募集しており、現役、引退は問わない。視野を広げるというシンプルな目的でも一歩を踏み出す価値のあるものと言えるだろう。

アスリート・イン
https://www.athletein.net/register

取材/保坂明美